023.世界平和は笑う

 人が行き交う街中で、一人の老人が倒れた。みすぼらしい恰好の、見るからに貧しい老人であった。

 心が冷たい人たちがいる街であったなら、この老人は放置され、そのまま野たれ死ぬであろう。
 しかしこの街はそうではない。人々はお互いを思いやり、笑いあい、助けあう、暖かい街であった。
「どうしましたご老人、大丈夫ですか?」
 老人の元にたくさんの人が集まってそう訊ねた。
「腹が減って……死にそうなんだ……」
 老人はここ四日、何も口にしていなかった。貧困が原因である。
「大変だ、大変だ!」
 老人の、絞り出すような言葉を聞いた人々はざわめき始めた。暖かい心を持つ人々である、今にも死にそうな老人を前に冷静でいられるはずがなかった。
「そうだ! 私……」
 一人の若い女性が、鞄の中を探り始めた。
「私、折り紙を持っています! 苦しんでいるご老人のために、みんなで千羽鶴を折りましょう!」
 若い女性は折り紙を取り出して、人々に見せるように高々にかざした。すると人々は我先にと折り紙を取っていく。優しい人々、若い女性の提案を無視できるはずがなかった。
「みんなで力を合わせて、千羽鶴を完成させるぞ!」
「おー!」
 人々はみな鶴を折っていく。するとその姿を見た通りすがりの人々も感化され、折り紙を手に取り鶴を折っていく。そうして千羽鶴は五分もしないうちに完成した。
「みなさんのおかげで、こうして千羽鶴を完成させることができました!」
 千羽鶴を折ることを提案した女性がそう言うと、人々は涙ぐみながら歓声をあげた。
「やったー!」
「おめでとー!」
「すごいぞー!」
 あちこちから拍手が送られ、街は大騒ぎとなった。
「ご老人、あなたのためにみんなで千羽鶴を折りました。どうぞ受け取ってください」
 倒れている老人のそばに、色とりどりの千羽鶴が置かれた。
 その光景を見ていた、レコーディング帰りのロックミュージシャンが楽器を取り出した。
「感動した! 俺もご老人のために何かしたい! だが俺には歌を歌うことしかできねえ!」
 そう言うとロックミュージシャンは楽器を掻き鳴らし、大声で歌い始めた。ロックミュージシャンは人気者で、彼の歌を知らないものはいなかった。
 老人のすぐそばに立って歌うロックミュージシャンの姿に人々は感動し、みなが声を合わせて歌った。
「かっこいいぞー!」
「もっと歌ってくれー!」
 ロックミュージシャンの素晴らしい歌に人々は歓声を送った。歌い終えたロックミュージシャンは、倒れている老人の背中に『愛』という文字と、自分のサインを書いた。
 それを見た、展示会帰りの画家がやってきてこう言った。
「なんと心温まる光景だろうか。これを表現せずして、何が芸術だろうか」
 画家は老人の前にキャンバスを広げ絵を描いた。それは絵の具をでたらめに塗りたくったような抽象画であった。しかし愛に満ちている人々である、出来上がった絵を見て涙を流した。
「これは、ご老人のためにみなさんが助けあう姿を描いた作品です」
 画家はそう言うと、絵を倒れている老人に立てかけた。
 するとそばで見ていたカメラマンが近寄って、鞄から一眼レフの大きなカメラを取り出した。
「これは後世に語り継いでいかなければならないことだ」
 そう言うと、老人のそばに置かれた千羽鶴、抽象画、そして老人そのものを撮り始める。
 すると、選挙カーに乗って演説をしていた政治家がやってくる。
「私はこの街の政治家であることを、心から誇りに思っている!」
 写真家は、みなに笑顔を向ける政治家を撮り、そして老人に握手を求める政治家も撮った。
「やあ写真家さん、良い写真を撮りましたね。そうだ、ぜひこの街で写真集を出そうじゃありませんか」
「それは素晴らしい考えだ、政治家さん。この光景をみなに見てもらえる、これほど嬉しいことはない」
 その話を聞いた詩人がやってくる。
「私もこのことにはとても感動しました。そこで、私の詩を写真家さんの写真に添えてもらえませんでしょうか」
「なんと! あの有名な詩人さんの詩と、私の写真が一つになるだなんて!」
 政治家と写真家と詩人が力を合わせて、急ピッチで本が作られた。
「このご老人のための本ができました! さあさ、みなさん、どうぞお買い求めください!」
 倒れている老人のそばに急遽ブースが設けられ、本の販売会が始まった。
 もちろん人々は次々と買い求め、わずか数分で本は完売となった。
「これは良い、我々も何かやろうじゃないか」
 一部始終を見ていた映画会社は、あちこちの芸能事務所に連絡をし、そして一流の脚本家を呼び寄せた。
「この出来事を、世界に広めるべきです! そこで我々は映画を撮ります! 主演は有名な俳優、助演はこれもまた有名な女優、そして脚本はあの有名な脚本家です!」
 この言葉を聞いた人々は、さらに盛り上がった。感動のあまり泣き出し崩れ落ち、半狂乱となって裸になり頭から氷水を被るものまでいた。
「ご老人のため、そして世界平和のため、みんなで手を取り合って頑張ろうじゃありませんか! ラブ&ピース!」
「ラブ&ピース!」
 夜中になってもラブ&ピースという声がやむことはなかった。
 翌朝、老人は冷たくなり、動かなくなった。

022.名探偵は食べる

 人は禁忌を犯すとき、何を考えるだろうか。

 絶望? 希望? 怒り? 悲しみ? 喜び?
 どれでもなかった。少なくとも私には、何もなかったのだ。人を一人殺したとしても、心は全く揺さぶられなかった。ただ終わったのだ。目の前で、私の人生をめちゃくちゃにした男の命が。
「こんな、ものなのか?」
 私はガラス製の大きな灰皿を片手にぶらさげながら、呟いた。ちとん、ちとんと、灰皿に付いた血が滴り落ちる音が、私の心のように無感情に鳴っている。
 私の足元には、初老の男、金貸しのタニマチが倒れている。私の両親に不法な利息で無理矢理金を貸し、最終的に自殺まで追い込んだ男だ。
 どうやってタニマチを殺したのか、そんなことは簡単だった。タニマチは年数回決まった日時に決まった宿に泊まることを知った私は、旅行客を装い同じ宿に泊まり、そしてタニマチの部屋に押し入り、手近にあった灰皿でタニマチを殴った、それだけだ。
 親父……お袋……敵は取ったよ。そうだ、こいつは死んで当然の男なのだ。
 しかし、犯罪は犯罪だ。たとえどんな理由があったとしても、罪を犯したのなら罰を受けなければならない。
 私は逮捕され、裁判にかけられ、そして刑務所へと送られるだろう。自首をすればいくらか罪は軽くなるかもしれないが……とにかく疲れた、最後にゆっくり休みたい。
 私は自分の部屋へと戻ることにした。一度寝て、それから自首しよう。宿の柔らかく清潔なベッドに身を預け、目を閉じる。
 
 何の夢も見なかった。私の意識はいつの間にか闇の中に落ちていて、そしていつの間にか闇の中から浮かび上がった。
 ゆっくりと目を開ける。ああ、そうだ、私はタニマチを殺したんだった。鈍い衝撃の感覚がまだ手に残っている。
 私は体を起こしながら、部屋の外がやけに騒々しいことに気が付いた。もしかしたらタニマチが殺されたことに、宿側が気が付いたのかもしれない。
 ならばさっさと自首しなければ。宿や泊まっている客に迷惑をかけたくはない。これは私とタニマチだけの問題なのだから。
 慌てて部屋の外へと飛び出す。
「皆さん落ち着いてください、大丈夫ですから。殺人犯は、この私、名探偵金田川が捕まえてみせます」
 部屋を出てすぐの宿の談話室に人々は集まっていた。その中で悠々と、演説のように語る男がいた。長身痩躯、スーツ姿の小奇麗な青年。私は彼を見たことがあった。直接会ったことがあるということではない。見たことがあるのは、テレビや雑誌、新聞などに彼がよく取り上げられているからだ。
 名探偵金田川。今どき珍しい存在だ。警察では解決が難しい事件に介入することが許された唯一の存在、それが金田川だ。
「あの、すみません……これは」
 私は金田川に近寄り話しかける。こんなもの、名探偵が推理するまでもない。警察が捜査をすればすぐに私が殺したことが分かるだろうし、何より私は逃れようなどと思ってはいない。自首して罪を償うつもりなのだ。
「あなたも宿泊客の一人ですね? ご安心ください、この密室殺人事件、私が必ず解決してみせます」
 私の言葉を遮り、金田川は自信満々に胸を張って言った。
 いや、ちょっと待て……。
「密室、殺人?」
「その通り、密室で被害者のタニマチさんは殺害されています。タニマチさんは、早朝にチェックアウトすると事前に宿の従業員に話していたのです。しかし今日、中々タニマチさんが起きてこないことを不審に思った従業員が部屋を訪ねたところ、鍵がかかっていた。何度も呼び出しても返答がない。尋常でない雰囲気を感じ取った従業員がマスターキーを使い部屋に入ったところ……そこには倒れているタニマチさんがおり、そしてその側には血に濡れた灰皿が落ちていた……」
「そんな、馬鹿な……」
 私は部屋に鍵などかけていない。タニマチを殺し、そのまま自分の部屋に戻ったのだ。
「まさか身近でこのような凄惨な事件が起きるなんて、信じられないのも無理ありませんよ」
 金田川は神妙な顔で私にそう言った。
「しかし犯人は、間違いなくこの中にいます。私がその犯人を必ず捕まえます」
 一体どうなっているのか、私にはさっぱりだった。だが先ほどまで諦めていた自由がもしかしたら手が届くところにあるのではないか、この不自然な状況に、私はそんなことを思っていた。
 
 金田川は殺人現場を捜査し終えたのか、談話室へと戻ってきた。金田川の側には、トレンチコートを羽織った体つきの良い男が付いていた。
「どうも、この事件の担当となりました。刑事の丸形と申します」
 丸形はその大きな体を曲げ、頭を下げた。
「挨拶はそれくらいにして、さっそく推理をしましょうか」
 金田川はそう言うと、透明の袋に入った鍵の束を懐から取り出した。
「これはこの宿のマスターキーです。先ほど密室殺人事件と私は言いましたが、もしこのマスターキーを自由に持ち出せるのであれば、密室は成立しませんよね?」
 金田川の言う通りだ。それなら部屋の鍵はないに等しい。
「待ってください、マスターキーは厳重に管理されています。誰にでも持ち出すことなどできません!」
 そう反論したのはこの宿の従業員だった。
「そう、このマスターキーは誰にでも持ち出せるものではありません。ただ誰にでも持ち出すことができないだけであって、持ち出せる人間はいるということです」
 金田川はそう言うと、反論してきた従業員のほうを見た。
「そうですよね、従業員の山口さん」
「そ、そんな……まさか私を疑っているんじゃ……」
 よし……よし! やはり、金田川は勘違いをしている。この密室はおそらく、何らかの偶然が重なってできた状況なのだ。となると、まず私は疑われない。金田川の高い推理力は裏目に出て、きっと他の誰かを殺人犯に仕立て上げてくれるだろう。私の自由の可能性は高くなっている。
 私は心の中で金田川を応援した。このまま、宿の従業員を犯人にしてくれ。従業員には気の毒だが。
「この状況で一番疑わしいのは、マスターキーを自由に扱うことのできる山口さんあなただ」
「動機がないだろう! タニマチさんはこの宿の常連なんだ! どうして私がタニマチさんを殺すんだ!」
「そう、タニマチさんはこの宿の常連です。常連だからこそ……あなたとタニマチさんは顔見知りだった。顔見知りなら、トラブルの一つや二つ抱えていてもおかしくはありません」
 どうやら、金田川は従業員の山口を本気で疑っているようだ。私は感付かれないよう、ほっと息を吐く。
「と、普通の人ならそう考えるかもしれませんね。ですがこの密室、実はマスターキーを使わなくても、誰でも作ることができるのです」
「ええ!?」
 思わず私は声をあげて驚いてしまう。
「おや、どうしました?」
「いえ、何も……」
 くそ、金田川め……妙に引き伸ばすような真似をしてくれる。いや、名探偵というのはそういう習性があるのかもしれない。フィクションでの名探偵でも、このように勿体ぶった推理を披露するじゃないか。大丈夫、まだ私が疑われていると決まったわけではないのだ。
「山口さん、もう一度、タニマチさんの死体を発見した状況を説明してもらえますか?」
「はい……。早朝にチェックアウトすると言っておられたタニマチさんが起きて来られないので、私は部屋まで起こしに行きました。何度扉の前で呼びかけても返事がなく、部屋に鍵がかかったままでしたので、マスターキーを取りに行きました」
「そして鍵を開けた、と……ではそこで何か不自然なことはありませんでしたか?」
「あっ! ありました! マスターキーで一度鍵を開けたんですが、扉が開かなかったんです。なのでもう一度マスターキーを入れて鍵を回しました。すると今度は難なく扉が開いたので、部屋の中に入ったんです」
「ありがとうございます。一度鍵を開けたのに扉は開かなかった……これが密室の秘密なのです」
 金田川は懐から一枚の写真を取り出し、見せた。
「この写真は、事件発覚から間もなく撮られたものです。写っているのはタニマチさんの扉の、蝶番がある部分」
 部屋の扉と、床に敷かれてある絨毯が写っている。どこにも不審な点は見当たらない。
「分かりませんか、この、扉のすぐ側の絨毯、濡れているような染みがあるんです」
 金田川が写真の一部分を指差す。確かに染みがあった。
「染みの形、なんだか三角形に見えませんか」
「確かに、三角形の染みだな」
 刑事の丸形が写真を見て頷く。
「これは氷が置かれた跡なんですよ。この扉の蝶番の部分に、挟み込むように三角形の氷を置いておく。するとどうなるでしょう」
「部屋の扉は外に引くように開かれるから……氷が楔となって、扉は開かない!」
 今度は従業員の山口が言った。
「そう、これが部屋を密室にしていた鍵なのです。これならマスターキーがなくても鍵はかけられます。山口さんが、マスターキーで鍵を開けたにも関わらず最初扉が開かなかったのも、扉自体には鍵はかかっていなかったからなのです」
「なるほど、山口さんがマスターキーを取りにフロントへ戻っている隙に氷を取り除いておけば、まるで扉に鍵がかかっていたように見せかけることができるってわけか」
 刑事の丸形は身を乗り出すようにして金田川の話を聞いている。
「ではこの三角形の氷を作ることができる人物は誰か……それは三角形の氷を作る型を持っている人物……先ほど捜査のついでに、宿泊客の皆さんの部屋に入れさせてもらいました」
 金田川は懐から、三角形の木の枠を取り出した。
「すると……十重さん、あなたの部屋からこれが見つかりました」
 唐突に、私の名前が金田川の口から飛び出てくる。
「なっ……そんなもの、知らない!」
「今さら言い逃れはできませんよ。それにあなたとタニマチさんの関係は、警察の方々にじっくり調べてもらえば分かることでしょうからね」
 私はがっくりと、全身から力が抜けていくのが分かった。一度見せられた希望、それが幻だったとは……。
 刑事の丸形が、私の手に手錠をかけた。
 
 名探偵というのは食っていけない職業だ。なぜなら、警察では解決できない難事件なんて、滅多に起きないからだ。
 じゃあどうして私がこのように食っていける名探偵としていることができるのか。答えは簡単だ。難事件がなければ、難事件を作ればいい。
 私が生まれ持った常人離れした洞察力と推理力を駆使し、事前に、殺人事件が起きることを嗅ぎつける。そして起こった殺人事件を、難事件に仕立て上げる。一番簡単なのは密室事件。私が密室にして、それを解き明かす。
「どいつもこいつも、捕まったショックで、全部自分がやったことだと認めてしまうから、笑えちまうよな」
 一度、犯人に『もしかしたら捕まらないのでは?』という希望を見せること。それがこの仕事を続けるコツなのだ。
 俺は食っていける名探偵、金田川だ。

021.完全犯罪アパート

 この世の快楽という快楽を、全て味わい尽した。

 俺は先祖代々続く財閥の子であり、そしてその跡取りだ。血筋なのか、仕事も上手くいっている。元々金は腐るほどあり、さらには仕事で次から次へと入ってくる。
 正直退屈だった。こんなにも人生上手くいくなんて、夢もクソもあったもんじゃない。刺激の一つや二つ欲しいところだ。
 だから俺はありとあらゆる、酒、煙草、女、賭博、麻薬、に手を出した。だがどれもすぐに飽きてしまう。最初は良くてもあっという間に慣れてしまい、こんなもんかと拍子抜けしてしまう。
「面白いもんがあるぜ」
 そんなときに遊びにやってきたのが鳥井だった。鳥井も俺と同じく財閥の子で、金と退屈を持て余していた。
「なんだよ、面白いもんってよ」
 この前見たときは、暇すぎて死にそうだってくらいの顔をしていたんだが、今は実に満たされたって感じだ。
「へっへっへ……どうしようかなぁ、教えてやろうかなぁ……」
 にやにやいやらしく鳥井の胸倉を掴んで、俺は凄む。
「教えろよぉ~」
「はいはい、教えるって菱光、離してくれって」
 俺は手を離し、鳥井を椅子に座らせる。
「実はな、すっげえ楽しいアパートがあるんだよ……」
「楽しいアパート? 豪華なのか?」
「いやいや、それがボロボロのアパートでな、汚くて湿っぽくて臭くって……」
 話を聞いているだけじゃ、とてもじゃないが楽しそうには思えない。
「まあとにかく、行ってみるこった。アパートの管理人の連絡先教えるからよ」
 鳥井はアパートの管理人とやらの名刺を差し出して、またにやにやしながら出ていった。
「そんじゃ楽しんだら、話聞かせてくれや」
 俺は少し悩みながら、名刺を眺めていた。
 
 少し悩んだが、退屈を持て余している俺、すぐに決断し、名刺に書かれてある連絡先に電話をした。
 電話に出た男は、実際にアパートを見てほしいと言ってきた。
 俺はさっそく家を出て、そのアパートに行ってみる。
「やあどうもいらっしゃいませ菱光様」
 そのアパートは、鳥井が言っていた以上に酷いものだった。
 外壁はひび割れて、玄関のドアは錆びつき、建付けが悪くあらゆる扉は簡単には開かなかった。
 鳥井め、いったいこれのどこが楽しいんだ。
 ムカつきもしたが、まあ結局退屈なのは変わらない。とりあえず、アパートの一室を借りてみることにした。
 隙間風が吹く部屋の中、かび臭い布団の中に潜り込む。
「俺、なんでこんなことしてるんだろ……」
 なんだか空しくなりながら、暗い天井を眺めていた。
「ん? なんだあれ」
 天井に光る点を見つけた。おそらく天井に穴が空いていて、二階の部屋の明かりが漏れているのだろう。これだけボロいアパートだ、さして不思議ではない。
 この夜はそのことを大して考えもせず、眠りについた。
 朝起きて、部屋の中を少し漁ってみた。部屋には古い机が一つ置いてある。
「これは……画鋲と、小瓶?」
 机の引き出しの中にはケースに入った画鋲と、茶色の小瓶、そして一枚のメモが入っていた。画鋲のほうは不自然なところはない。だが小瓶とメモは不自然だらけだ。
『1.このメモを読んだらすぐに燃やすこと。2.小瓶は日本にも生息している虫の毒が入っている。3.毒は強烈でわずかでも体内に入れば死ぬ。』
 ぞわぞわと騒ぐように、一気に鳥肌が立つのが分かった。
「なるほど……面白いもん、ね」
 自然と顔に笑みが浮かんでしまう。暗く醜い笑みが。これまでに味わったほどの興奮、心臓がどくんどくんと強く脈打ち始める。
 
「よお鳥井、お前の言う通り、あれは面白いもんだなぁ!」
 やってきた鳥井に俺はそう笑いかける。
「へっへっへ、そうだろそうだろ。で、お前はどうやったのよ?」
「俺はな、画鋲に毒を塗って天井に刺しておいたんだ。二階の住人がその画鋲を踏んで……アーッハッハッハ!」
「ひーっひっひっひ!」
 俺と鳥井は腹を抱えて笑った。
「お前はどうやったんだよ鳥井」
「俺? 俺はね、二階に住んでたんだけどよ。床に穴を空けてな、寝ている一階の住人の口の中に、毒をポチャン……しかもその毒ってのが、一階に住んでいる奴が飲んでいる睡眠薬を、凝縮したものだったからさ、自殺で片付いちゃうわけ……クックック」
「最高だなおい! 俺なんてよ、虫の毒使ったから、警察が来て『毒虫が潜んでいる可能性があるので、ここから退去してください』なんて言われてよ! これが完全犯罪……こんなに興奮したのは生まれて初めてだ!」
 それから俺たちはずっと酒を飲みながら、もしまた人を殺すとしたらどんな方法で殺すか、ということを話し合った。
 やがて酔いが回り、俺はソファーでいつの間にか眠っていた。頭がふらつきながらも俺は目を覚ます。鳥井はどうやら帰ったようだ。暗い俺の部屋、誰もいない。いないはずだった。
「……どうして、どうして殺した……」
 どこからか囁き声が聞こえた。低く、ゾッとする不気味な男の声。
「誰だ、どこにいるんだ?」
「……俺には、何の恨みも……なかったはずだろ……」
「何を言っている? お前は誰だ? 出て来いよ」
 声は揺れるように、あちらこちらから聞こえてくる。
「忘れたとは言わせないぞ……お前が……お前が……俺を殺したんだろう!」
 カッと部屋が一瞬明るくなる。
「お、お前なんでここに……いや、お前は……死んだはずだろ!?」
 俺の前に、青白い肌の、あいつが現れた。俺があのアパートで殺した、二階のあいつ。
「うわああああああああ!」
 どうして、どうして生きているんだ! 身体中の震えが止まらない、とにかくここから逃げなくては、殺されそうな気がする! だが酔いもあってか、足に力が入らない。
 ふっと、部屋の明かりが突然消えた。また暗い部屋になる。そしてそこにはあいつの姿はなかった。
「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ」
 呼吸が無意識に早くなっていた。あれは、夢だったのだろうか……やけに現実味のある、夢だったのか……いや夢だ、夢に違いない。夢じゃなかったら……幽霊だ。
 
 それからというもの、俺が一人になると時たまあいつは現れて、恨みを訴えてくる……。
「やめてくれ……もう許してくれ……」
「許さない……許さないぞ……」
 俺はろくに眠れもせず、疲労は溜まる一方だった。
 誰に言っても信じてもらえない、医者を勧められることもあった。
 本当に、頭がおかしくなりそうだった。もう限界だ、そう思ったとき、アパートの管理人がやってきて、こう言った。
「お楽しみ、いただけましたでしょうか? これが我々が提供する、非日常でございます。完全犯罪の興奮、幽霊の恐怖、どちらも普段は味わえないものでございます」
 殺したはずのあいつも出てきて、笑う。幽霊などではない、ちゃんと生きている。
 そうか、ここまでが、商売だったのか。俺は恐怖から解放されて、ほっとする。この安心感も、久々のものだった。

020.MOMIGE

 紅葉狩りの季節だ。
 MONSTER MILLION GENE、通称紅葉(MOMIGE)、秋の京都に突如として出現した、謎の生命体たちだ。
 全身が赤い個体と黄色い個体がおり、そいつらの主食は人間だ。なぜそいつらが秋の京都に出現し、そして秋の京都でしか生きられないのは分からない。
 しかし紅葉をこのまま放っておくわけにはいかない。俺たち紅葉ハンターは今年の秋も紅葉を狩っていく。
「しかし、なんだってこいつらは人を喰うんだ」
 五体目の紅葉を狩ったとき、チームメイトのヤマグチがぼやく。
「京都には人よりも美味いもんがゴロゴロあんだろうが」
「例えば?」
「そうだな、生八つ橋とか、京野菜とか色々……な?」
「な? って言われても知らねえよ。俺、京都詳しくねーもん。今ここが京都のなんていう所なのかも分かんねえし」
 京都ってのは、複雑な気がする。古い建物とか道とかが絡み合って、まるで迷宮、のようなイメージがあるのだ。俺は京都が恐ろしい。
 そんな京都に紅葉なんていう化け物まで現れたのだ。俺にとってはもう京都は魔境だ。
「しっかしよぉ、紅葉の奴ら、妙に京都を敬ってるっていうか、崇拝してるっていうか、そんな気がしないか?」
 頭の悪いヤマグチでも気付けるくらい、確かに紅葉たちは京都を大事にしている印象がある。
 大事にしている、という言葉も化け物に対して使うのは変な気がするが、紅葉たちはむしろ、京都を守っているように思える節があるのだ。
 まるで、聖域に踏み込む侵略者たちを排除しているような。
 巡回区域を回っていると、道の向こうから一人の舞妓がやってくる。
「ヤマグチ、舞妓が来た。気を付けろ」
「おうよ」
 俺とヤマグチは対京都ライフルを構えて、やってくる舞妓に警戒する。
「そないなもん向けんとくれやす」
 白粉を塗った、典型的な舞妓が、俺達の横を音も無く通り過ぎていく。
 舞妓、紅葉たちと共存する唯一の民族。
「ったく、気味が悪いぜ、ここは」
 舞妓とは一応、友好関係にはあるらしいのだが、風の噂で紅葉ハンターが舞妓に殺されたというのを聞いたことがある。
「噂によりと昔は、紅葉、舞妓以外にも秋の京都にはSYU=GAKURYOKOUとかいう奴らがウジャウジャいたらしいぜ」
 京都の歴史と情報は、紅葉の出現により、封印されてしまっている。ヤマグチの噂も信用ならない。

 紅葉研究者達の研究により、どうやら紅葉たちはある一ヶ所を守っているとのことだ。
 俺とヤマグチは、何十体という紅葉たちを殺しながら、なんとかその一ヶ所にたどり着く。
 そこには、紅葉があった。
 化け物のMOMIGEじゃない、本物の、紅葉だ。
 空一杯に広がる血のように赤い紅葉。
「紅葉、いやMOMIGEたちはこれを守っていたのか……」
 百万枚はある、紅葉の葉っぱ。
「美しい……」
 そこには、百万枚の紅葉があった。
「アカシャの葉……」一体のMOMIGEが呟いた。

019.呪われた文字

 隔離されていったいどれだけの時間が流れたのか。分からない。このシェルターには時計どころか窓すら付いてない、時間間隔はとっくの昔に狂わされている。

 気の良いアルバ、人見知りのヴィタ、可愛らしいガマ、みんな生きているだろうか。もし生きていたとしたら、どんな姿になっているだろうか。変わっていないだろうか、それとも大人っぽくなっているだろうか、いやもしかしたらもう老人になっているかもしれない。
 ……そもそも私は今いくつなんだ? 駄目だ、分からない。
 それほど長い間、私は、いや私たちはそれぞれのシェルターに一人ずつ隔離されている。
 そもそもの発端は、呪われた文字と呼ばれる謎の現象だ。それは具体的にどのような存在なのか、誰にも分からない。ただその文字はある時突然現れて、それを読んだ人は死んだという。
 この呪われた文字について、一つの仮説を立てた科学者がいた。
「おそらくはコンピューターウィルスのようなものでしょう。コンピューターウィルスとは、パーソナルコンピューター独自の言語で作られています。つまりは言葉の病原体なのです。ですから呪われた文字は、人間の言葉でできた病原体だと思われます。人から人へと伝染するのです」
 呪われた文字の猛威から逃れ、辛うじて生き残った数少ない我々はその科学者の言葉を信じ、他人に出会わないようにシェルターへと隔離されたのだ。
 ああ、もう一度、会話をしたい……他愛もない雑談、熱が入る議論、下品な口喧嘩でも構わない、言葉を交わしてみたい。
 シェルターが自動で合成し支給口から出してくれる栄養食を食べ終えて、することがない私は、これまた自動で洗浄されたベッドに潜り込み、目をつぶった。
 
 目を覚ましたのは耳元で大きな爆発音が聞こえたからだ。眠りの中にいた私は思わず飛び起きて周りを見回す。
「なんだこれは……」
 私は愕然とする。閉じ込められていたシェルターに大きな穴が空いているのだ。久しぶりの外の空気が鼻元をくすぐる。何より驚いたのは、穴の向こうに立つ人の影、何やら奇怪な、宇宙服のようなものを着ている。
 彼か彼女かは分からないがとにかく彼としておこう、彼は穴からシェルターの中に入ってきて、私の手を取り、外へと連れ出した。
「ちょっと待ってくれ、どういうことか説明してくれないか? 呪われた文字の災厄は、もうなくなったのか?」
 私は慌てて彼の手を振りほどき、質問をする。だが彼は見向きもせず、また私の腕を強く引っ張り、どこへ向かっているのか、荒れ果てた街の中を進んでいく。
 しばらく彼とともに歩き、やがてやけに真新しい、そして見慣れない球体の元に着いた。その球体はとても大きく、空を覆い尽すほどであった。鈍い銀色をした球体は私たちが来たことを察知したのか、キン、と金属音をたてながら人が通れるほどの穴を開く。
 彼は、付いてこい、と言うように私の腕をまた引っ張った。
 球体の中に入った私を多くの人が出迎えた。だが皆、私をここに連れてきた彼と同じ、奇怪な宇宙服のようなものを着ていた。
 何より妙なのが、彼らの間で交わされる言葉が全く分からないことであった。私がシェルターに入る頃、世界は共通言語を使っていたはずなのだが。
 疑問に思っていると、彼らの内の一人が私に近づき、頭を覆っていたヘルメットを取った。そこで私はさらに驚く。ヘルメットの中にあったのは人の頭ではない、全く違う、妖怪の河童のような、とにかく、彼は人間でないのだ!
 思わず私は悲鳴をあげて後ずさりするも、彼はそっと手を差し伸ばしてきた。どうやら握手を求めているようであった。
「あ、え、はい、どうもよろしく……」
 宇宙服越しとはいえ、感触からして人間のものではない手であった。だが温かく、自分以外の生き物と出会えたことが、なんだかとても嬉しかった。
 それから彼らとの奇妙な生活が始まった。
 どうやら彼らは別の星からやってきたらしい。3Dホログラムのような立体投影映像で彼らの母星を見せてもらった。酷く荒れた星であった。砂漠が広がるばかりで、生き物らしい生き物はいない。どうやら星の環境が突然変わったらしい。おそらくだが、彼らは移住できる星を探しているのだろう。
 恐ろしい外見とは裏腹に、彼らは侵略をしにきているわけではないようだ。私を生かしておき、また友好的に接していることがその証拠だ。
 身振り手振りであるが、彼らとコミュニケーションを取りながら時を過ごしていった。
 
 どれほど時が過ぎたであろうか。なんと、ついに彼らが翻訳機械を完成させた。
「やあ! この時が来るのをどれほど待ち侘びたか!」
 彼は、聞きなれた共通言語でそう語り掛けてきた。
「おお! 言葉だ! 会話ができる! これほど嬉しいことはない!」
 私は感激のあまり、涙を流しながら答えた。
「感動的だ……あまりに感動的で、何から話していいか……」
「そうだな、何を話せばいいのか……」
 途端に気まずさがこの場を支配した。思えば、生まれも暮らしも全く違うのだ。
 さてどうしたものか、と私は苦笑いをしながら考え込んでしまった。
 その時であった。突然息苦しくなり、頭が締め付けられるように痛み、強烈な眩暈が私を襲った。
「うぁ……ぐぅ……」
 いつの間にか私は倒れている。不安そうに覗き込む彼らの顔。ああ、もっと話がしたかった……。意識が遠のいていった。
 
「どうやら、この星の知的生命体は特定のストレスに免疫がないようですね」
「なんだって! 特定のストレスとはいったいなんだ!?」
「会話によるコミュニケーションにおいて、何を話していいか分からなくなった状態に生じるストレスです」
「しまった、もっと彼のことを研究しておくべきだったな」
「それにしても、翻訳機械が完成して、これからってときに死ななくてもねぇ……」
「まったくだ、もっと空気を読んでほしいものだな」

018.快適

「中は快適だよ」
 365日、24時間、永久的に快適がプレゼントしてくれる快適環境保持システムが各家庭に導入されてからもう30年以上も経つらしい。僕たちは家に出る必要はほとんどなく、椅子に座りながら必要最低限の栄養を与えられ、また必要最低限の運動を義務付けられている。
 ノルマの運動プログラムを消化するために、ランニング・マシンの全周囲モニターに表示される2000年代の東京千代田区、皇居周辺の流れる風景を無心で見つめながら、ひたすら走り、額から落ちる汗を手の甲で拭いつつ、姉、キョウコの言葉を聞いた。
「いつだって中は快適なの」
 キョウコの言葉は、僕の空っぽな頭の中へ滑り込むように割って入って、ひんやりと背筋を凍らせた。その冷たさを例えるなら、そう、昔の言葉を借りるならば「不意打ちを食らう」というやつだ。意識していないところからの刺激。
 そしてたった今生じたこのわずかなストレスを、僕の身体隅々をパトロールしているナノマシンが感知し、それが快適環境保持システムへ伝達、即座に精神安定音楽が骨伝導スピーカーから、リラックスアロマが空気環境調整機から、流れ出す。
「快適、うん、快適だよね。でも快適っていう言葉を僕たちは習っただけで実感なんてしたことないよね。昔の人たちが不快適であったことがあるから、快適っていう言葉があるだけでさ、常に快適の僕らには必要のない言葉だよ」
 快適という言葉は僕らの日常を指す言葉だ。だからキョウコの「中は快適だよ」は、僕には一瞬理解できなかった。「中はいつもと同じだね」って意味だから。それは当然のことだ。
「ねえ、エンタロウ、知ってる? 昔はね、快適環境保持システムが私たちを包み込むよりも前の昔はね、四季っていうのがあったらしいのよ」
「四季?」
 ネットワークへ接続、データベースへアクセス、検索を開始、キーワード”四季”、ヒット。穏やかな日差しが差し込む木々の風景を映す僕の視界に、検索結果の表示が割り込む。
 春、夏、秋、冬。外部の環境変化であり、それは地球や太陽の自転、公転の影響により生じる。
「ふぅん、四季ね。365日に4回も温度が大きく変化するなんて、忙しないな」
「エンタロウ、すぐ検索するのやめてよ」
 キョウコの言葉の温度と圧が、さっきよりもより冷たく、そして強くなる。
「気味が悪くなるのよ」
「どうしてだよ、こんなの生まれたときから当たり前のことだろ」
「当たり前のことだからよ!」
 ガン、と鈍く大きな音がランニング・ルームに響いた。ガァンガァンガァンガァン……モニターの一部分にキョウコの拳が叩きつけらたのだ。モニターには傷一つ付いてない、人の力で家は壊れない。
「おかしいよキョウコ、何言ってるんだよ」
「私、本で読んだのよ。昔は四季があって、寒くなったり暑くなったりするのが当たり前の世界で、それでも人は快適と不快適の間を何度も行き来して、笑いあっていたって。でも今はどう? 今の世界は? 何もない、快適な温度と湿度が保たれていて、私たちは何も考える必要はないの」
 検索を開始、キーワード”本”、ヒット。
 木を加工して作られた紙という記録メディアを用いて作成された情報メディア。電子情報メディアが一般化された現在では作成されておらず、現存数も少ない。
「本って、またそんなのどこで手に入れたのさ」
「どこだって良いじゃない、システムが与えてくれるのは、私たちにとって都合の良い、考えなくてもいい情報だけ、私たちは何の疑問も持たず、そして持たせてくれないのよ」
 キョウコのパーソナルデータが僕の視界に割り込んでくる、メンタル状態:危険。鎮静物質投与。
「この快適が、何をしてくれるのよ! 私たちを閉じ込めて、四季、変化を奪って! ただ生まれて死んでいくだけなのよ! あなたは何も感じないのエンタロウ!」
 キョウコは長く黒い髪を振り乱して、ランニング・マシンの上で走る僕に近づいてくる。僕を覗き込む彼女の瞳は大きくて、そして不気味に輝いている。鎮静物質が効いていない。
「キョウコ姉さん、落ち着けよ。深呼吸して、アロマ・ルームに入って少し休みなって」
「私はあなたの姉でも何でもないのよ! 家族というコミュニティが私たちのメンタル安定に必要と判断したシステムが勝手に、ランダムに形成した偽物じゃない! どれもこれも偽物よ! 私は、暑さを感じたいの! 寒さを感じたいの! 雪、そう真っ白で綺麗で眩しい雪を見たいわ。今、外は冬、っていう季節らしいわ。昔の、私たちの年代はね、学校っていうところに集まって学習していたらしいわ。でも、冬には、冬休みっていう、長期的な休暇が与えられたのよ。冬を楽しむためにね。昔の人たちは冬を楽しめたのね、羨ましい、すっごく羨ましい。冬を感じて愛せたなんて……」
 キョウコの眼は虚ろになっていく、声も小さく篭っていく。倒れつつあるキョウコの身体を、僕はランニング・マシンの動作を停止させて、抱きかかえるようにして支える。
「出してよ、ここから……お願い」
「今さら僕たちが外で暮らせるものかよ」
 ゆっくりと呼吸するキョウコの寝息が僕の耳元をくすぐる。
「中は快適だよね」
 そう、中は快適だ。

017.SIG48

 正義とは何ぞや。
 ワシは殴られながら考える。
 正義とは何ぞや。
「オラッ! どうやボケッ! 死んだか! 死んだんかドアホッ!」
 と地面に倒れ伏せているワシの脇腹を執拗に蹴り続けるのは正義の味方、仮面戦隊レッド。血のレッド。
「フハハハハ! この程度でワシを倒したと思うとるのなら、お主もまだまだよのう!」と砂を噛みながら高笑いをするワシは、悪の組織、ワルビレンの首領、ワルチョイ。ちなみに組織のメンバーはワシだけ。でも正義の味方である仮面戦隊にはレッドの他にあと47人ものメンバーがいる。
 何やら「正義の味方を売り出すにも新しいやり方が必要」とかで、新メンバーがどんどん増えていっているのだ。確かに、新メンバーたくさんいたほうが、仮面戦隊のグッズも売れるだろうし、そりゃあ間違っとらんだろう。
 しかし、しかしだな、こうして悪の組織に入って50年目の大ベテランを、こうも痛めつけるのは、間違ってはおらんかのう?
「ヘイレッド、そんな糞じじい放っとけよ。どうせもう長くねえんだからよぉー」とレッドの暴力並にキッツイ言葉を吐きつけるのはブルー。
「もうすぐ新しいメンバーの面接すんだから、適当なところで切り上げろよ」
「おうブルー、分かってるけどよ、分かってるけど俺は! 悪が! 許せねえんだ!」
 と、言葉に合わせて蹴りを入れてくる。
 ワシはもう一度問いたい。
 正義とは何ぞや!
「ったく、さっさと死ねやカスが」これまた鋭い台詞。
 去っていくレッドとブルーを霞む目で見送り、ワシは震える身体を立ち上がらせる。
 悪とはなんだろう。ワシは、何も悪いことをしているつもりはないのじゃ。ただ、今の日本を変えようと頑張っているだけなのに……。
 それを奴らは悪だと言うのだ。今の日本が完全なる正義であり、それに正義を執行するよう命ぜられた仮面戦隊たちは正義の味方というのが、奴らの理屈である。
 酷い話だ……。
 今の日本は、違った価値観、正義感を認めず、悪とみなす。悪とみなされたものは徹底的に叩き潰されるのだ。
 ああ! どうかワシを! ワシを助けてくだされ! ヒーローよ! って、ヒーローは、あの仮面戦隊たちじゃった。
 弱い者は、死んでいくしかないのだろうか。強い者に従わなければならないのだろうか。
 ワシは、弱い者も強い者も平等に暮らせる真の平和な世界を作りたいだけなのに……。
 もう一度問いたい。
 正義とは、何ぞや。