023.世界平和は笑う

 人が行き交う街中で、一人の老人が倒れた。みすぼらしい恰好の、見るからに貧しい老人であった。

 心が冷たい人たちがいる街であったなら、この老人は放置され、そのまま野たれ死ぬであろう。
 しかしこの街はそうではない。人々はお互いを思いやり、笑いあい、助けあう、暖かい街であった。
「どうしましたご老人、大丈夫ですか?」
 老人の元にたくさんの人が集まってそう訊ねた。
「腹が減って……死にそうなんだ……」
 老人はここ四日、何も口にしていなかった。貧困が原因である。
「大変だ、大変だ!」
 老人の、絞り出すような言葉を聞いた人々はざわめき始めた。暖かい心を持つ人々である、今にも死にそうな老人を前に冷静でいられるはずがなかった。
「そうだ! 私……」
 一人の若い女性が、鞄の中を探り始めた。
「私、折り紙を持っています! 苦しんでいるご老人のために、みんなで千羽鶴を折りましょう!」
 若い女性は折り紙を取り出して、人々に見せるように高々にかざした。すると人々は我先にと折り紙を取っていく。優しい人々、若い女性の提案を無視できるはずがなかった。
「みんなで力を合わせて、千羽鶴を完成させるぞ!」
「おー!」
 人々はみな鶴を折っていく。するとその姿を見た通りすがりの人々も感化され、折り紙を手に取り鶴を折っていく。そうして千羽鶴は五分もしないうちに完成した。
「みなさんのおかげで、こうして千羽鶴を完成させることができました!」
 千羽鶴を折ることを提案した女性がそう言うと、人々は涙ぐみながら歓声をあげた。
「やったー!」
「おめでとー!」
「すごいぞー!」
 あちこちから拍手が送られ、街は大騒ぎとなった。
「ご老人、あなたのためにみんなで千羽鶴を折りました。どうぞ受け取ってください」
 倒れている老人のそばに、色とりどりの千羽鶴が置かれた。
 その光景を見ていた、レコーディング帰りのロックミュージシャンが楽器を取り出した。
「感動した! 俺もご老人のために何かしたい! だが俺には歌を歌うことしかできねえ!」
 そう言うとロックミュージシャンは楽器を掻き鳴らし、大声で歌い始めた。ロックミュージシャンは人気者で、彼の歌を知らないものはいなかった。
 老人のすぐそばに立って歌うロックミュージシャンの姿に人々は感動し、みなが声を合わせて歌った。
「かっこいいぞー!」
「もっと歌ってくれー!」
 ロックミュージシャンの素晴らしい歌に人々は歓声を送った。歌い終えたロックミュージシャンは、倒れている老人の背中に『愛』という文字と、自分のサインを書いた。
 それを見た、展示会帰りの画家がやってきてこう言った。
「なんと心温まる光景だろうか。これを表現せずして、何が芸術だろうか」
 画家は老人の前にキャンバスを広げ絵を描いた。それは絵の具をでたらめに塗りたくったような抽象画であった。しかし愛に満ちている人々である、出来上がった絵を見て涙を流した。
「これは、ご老人のためにみなさんが助けあう姿を描いた作品です」
 画家はそう言うと、絵を倒れている老人に立てかけた。
 するとそばで見ていたカメラマンが近寄って、鞄から一眼レフの大きなカメラを取り出した。
「これは後世に語り継いでいかなければならないことだ」
 そう言うと、老人のそばに置かれた千羽鶴、抽象画、そして老人そのものを撮り始める。
 すると、選挙カーに乗って演説をしていた政治家がやってくる。
「私はこの街の政治家であることを、心から誇りに思っている!」
 写真家は、みなに笑顔を向ける政治家を撮り、そして老人に握手を求める政治家も撮った。
「やあ写真家さん、良い写真を撮りましたね。そうだ、ぜひこの街で写真集を出そうじゃありませんか」
「それは素晴らしい考えだ、政治家さん。この光景をみなに見てもらえる、これほど嬉しいことはない」
 その話を聞いた詩人がやってくる。
「私もこのことにはとても感動しました。そこで、私の詩を写真家さんの写真に添えてもらえませんでしょうか」
「なんと! あの有名な詩人さんの詩と、私の写真が一つになるだなんて!」
 政治家と写真家と詩人が力を合わせて、急ピッチで本が作られた。
「このご老人のための本ができました! さあさ、みなさん、どうぞお買い求めください!」
 倒れている老人のそばに急遽ブースが設けられ、本の販売会が始まった。
 もちろん人々は次々と買い求め、わずか数分で本は完売となった。
「これは良い、我々も何かやろうじゃないか」
 一部始終を見ていた映画会社は、あちこちの芸能事務所に連絡をし、そして一流の脚本家を呼び寄せた。
「この出来事を、世界に広めるべきです! そこで我々は映画を撮ります! 主演は有名な俳優、助演はこれもまた有名な女優、そして脚本はあの有名な脚本家です!」
 この言葉を聞いた人々は、さらに盛り上がった。感動のあまり泣き出し崩れ落ち、半狂乱となって裸になり頭から氷水を被るものまでいた。
「ご老人のため、そして世界平和のため、みんなで手を取り合って頑張ろうじゃありませんか! ラブ&ピース!」
「ラブ&ピース!」
 夜中になってもラブ&ピースという声がやむことはなかった。
 翌朝、老人は冷たくなり、動かなくなった。