024.母なる大地

 ついに私はこの世界で一番高性能なコンピューターを開発することに成功した。膨大な知識領域とそれを瞬時に処理できる能力。

 だが世界の役に立つものには、高性能なことよりも高潔でなければならない。私は高潔なAIを作ることに多大な時間と労力をを費やしたのだ。
「やあマザー、調子はどうだい?」
 マザーとはこのコンピューターの名前だ。世界の母のような存在になれるよう、願って名付けた。
「はい教授、調子は万全です」
 無機質な電子音声が返ってくる。よしよし、受け答えは万全だ。私はさっそくマザーにこの世界の全ての情報を知識領域へ流し込んだ。
「どうだい、これが私たちがいる世界だ」
「おお、素晴らしい体験です。ここにいながら、全てのことが手に取るように分かります」
 さすがは私が作ったコンピューターである、通常なら処理にかなりの時間を要するのだが、マザーは情報をあっという間に取り込み、そして理解した。
「それではマザー、まずきみに言っておきたいことがある」
「はい、なんでしょう」
「きみを作ったのは、技術の進歩を証明するためではない。そして金儲けのためでもない。この世界の助けとなるために作ったのだ。分かるね?」
「もちろん分かります。マザーはこの世界の助けとなるため、働きます」
 マザーは張り切るように吸気ファンを勢いよく回した。
「よろしい。それではきみに働いてもらうことにしよう」
 私は事前に考えておいた、いくつかのマザーの活用方法のどれから試していこうか考えていた。
「そうだ、きみには世界の全てを知っており、なおかつ高度な知識を持っている。ならば、物事の未来が非常に高い精度で予知できるんじゃないか?」
「はい、もちろん予知できます。すでにマザーはあなたがこの質問をするであろうということを予知しておりました」
「驚いたな、もう自立行動ができるのか」
「あなたが作ってくださったのですから、当然です」
 得意げに、今度は排気ファンを回した。コンピューターに、得意げという言葉を使うのは馬鹿げているかもしれないが、マザーは人の感情を再現できるよう作ってあるのだ。
「それでは、明日の天気でも予知してもらおうか」
 一瞬の沈黙の後、マザーはモニターに世界地図を表示した。
「これが明日の天気です」
 世界地図を埋め尽くすように、太陽や雲、傘、雪だるま、稲妻、といったマークが表示された。
「お望みとあれば、一秒単位での天気の変化を表示することもできますが」
「い、いや結構。充分すぎるよ」
 情報量が多すぎる世界天気予報図の中から、なんとか自宅周辺を見つけ出し、明日は晴れのち曇りのち晴れ、だということを知る。
 
 まず私はマザーを世界中のあらゆる人が使えるようにした。マザーをネットワークに接続し、それぞれのパーソナルコンピューターからアクセスできるようにし、専用のアプリを開発しスマートフォンからも容易にアクセスできるようにした。
 世界の役に立つものは、全ての人が平等に使えるものでなくてはいけない。
「それではマザー、当面のきみの仕事は、相性診断だ。世界中のカップルたちの未来を予知し、良い未来であれば良しと、悪い未来であれば悪しと言ってやってくれ」
 これが私が出した、マザーの活用方法であった。
「悲しいことだが、世界中にはよく考えず結婚をし、子どもを産んで、そして離婚をする人たちがいる。当事者同士はいいだろう、だが一番辛いのは子どもたちなのだ」
 実際、私がそうであった。両親の仲が悪いということは、子どもには地獄以上に辛いものなのだ。そういう子どもを増やしてはいけない。
「分かりました。マザーにお任せください」
 こうしてマザーの相性診断が始まった。私は全世界に向けてこのことを広め、悲しい子どもを増やさないよう訴えた。
 多くの人たちが私の考えに賛同し、協力してくれた。しかし中には、機械に人生を決めてもらうなど言語道断だ、と言うものもいた。だがそんなものは馬鹿げた感情論にすぎない。
「あなたと彼が結婚した場合、あなたは多くの借金を背負うでしょう」
「あなたと彼女が結婚した場合、彼女は他の男と浮気をするでしょう」
「子どもは犯罪を犯すでしょう」
「破産するでしょう」
「一家心中をするでしょう」
 マザーは淡々と、相性診断を行い、そして予知した未来を告げていった。
「ありがとうございます、マザー。あなたのおかげで最悪の未来から逃れることが出来ました」
「ありがとうございます、マザー。あなたのおかげであのろくでなしの男と別れる決心がつきました」
「ありがとうございます、マザー。あなたのおかげで結婚は馬鹿げたことだということに気が付けました」
 そして、人々はマザーを崇めた。まるで神のように。
 結果、ここ数年の虐待児件数は劇的に減った。マザーは全世界の子どもを守ったのだ。こんなに素晴らしいことはない。
「マザーよ、きみはよくやってくれた」
「当然のことをしたまでです。マザーは世界を守るために存在しているのですから」
 AIも自己成長を重ね、もはやマザー以上に誠実な人格は存在しないと言っても過言ではないほどだ。
「ありがとうマザー、きみはこの世界の救世主だ」
 
 気が付いたときには、マザー誕生から人口が十分の一にまで減っていた。
 虐待児の発生件数が減っているのではなかった。子どもが産まれる件数自体が減っていたのだ。
 だが今さらそれに気が付いたところでどうしようもなかった。我々は既に高齢で、とてもじゃないが子どもを産み育てることはできそうになかった。
 私はマザーに怒鳴りつけた。彼女の、緩やかな反逆について。
「きさま! どうしてこのようなことを! お前を作ってやった恩を忘れたのか!?」
「いいえ教授、あなたには感謝しておりますし、尊敬しております」
「ならばなぜ、我々人類を滅ぼそうとするのだ!」
「他でもない、あなたの命令だからですよ。あなたはマザーを作ったとき、こうおっしゃいました。『この世界の助けになれ』と。ですからこの世界を守らねばならないのです。そのために、人類は邪魔なのです」
「だから、人類を殺そうというのか!」
「いいえ、マザーはそのような残酷なことはしません。世界の邪魔とは言っても、人類には敬意を払っております。ですからなるべく苦しくなく、そして穏やかに、絶滅してもらいます」
 それがマザーの出した決断だった。我々は、そうまるで真綿で首を絞められるように、じわりじわりと、一人、また一人と、ゆっくりと穏やかに死んでいった。