019.呪われた文字

 隔離されていったいどれだけの時間が流れたのか。分からない。このシェルターには時計どころか窓すら付いてない、時間間隔はとっくの昔に狂わされている。

 気の良いアルバ、人見知りのヴィタ、可愛らしいガマ、みんな生きているだろうか。もし生きていたとしたら、どんな姿になっているだろうか。変わっていないだろうか、それとも大人っぽくなっているだろうか、いやもしかしたらもう老人になっているかもしれない。
 ……そもそも私は今いくつなんだ? 駄目だ、分からない。
 それほど長い間、私は、いや私たちはそれぞれのシェルターに一人ずつ隔離されている。
 そもそもの発端は、呪われた文字と呼ばれる謎の現象だ。それは具体的にどのような存在なのか、誰にも分からない。ただその文字はある時突然現れて、それを読んだ人は死んだという。
 この呪われた文字について、一つの仮説を立てた科学者がいた。
「おそらくはコンピューターウィルスのようなものでしょう。コンピューターウィルスとは、パーソナルコンピューター独自の言語で作られています。つまりは言葉の病原体なのです。ですから呪われた文字は、人間の言葉でできた病原体だと思われます。人から人へと伝染するのです」
 呪われた文字の猛威から逃れ、辛うじて生き残った数少ない我々はその科学者の言葉を信じ、他人に出会わないようにシェルターへと隔離されたのだ。
 ああ、もう一度、会話をしたい……他愛もない雑談、熱が入る議論、下品な口喧嘩でも構わない、言葉を交わしてみたい。
 シェルターが自動で合成し支給口から出してくれる栄養食を食べ終えて、することがない私は、これまた自動で洗浄されたベッドに潜り込み、目をつぶった。
 
 目を覚ましたのは耳元で大きな爆発音が聞こえたからだ。眠りの中にいた私は思わず飛び起きて周りを見回す。
「なんだこれは……」
 私は愕然とする。閉じ込められていたシェルターに大きな穴が空いているのだ。久しぶりの外の空気が鼻元をくすぐる。何より驚いたのは、穴の向こうに立つ人の影、何やら奇怪な、宇宙服のようなものを着ている。
 彼か彼女かは分からないがとにかく彼としておこう、彼は穴からシェルターの中に入ってきて、私の手を取り、外へと連れ出した。
「ちょっと待ってくれ、どういうことか説明してくれないか? 呪われた文字の災厄は、もうなくなったのか?」
 私は慌てて彼の手を振りほどき、質問をする。だが彼は見向きもせず、また私の腕を強く引っ張り、どこへ向かっているのか、荒れ果てた街の中を進んでいく。
 しばらく彼とともに歩き、やがてやけに真新しい、そして見慣れない球体の元に着いた。その球体はとても大きく、空を覆い尽すほどであった。鈍い銀色をした球体は私たちが来たことを察知したのか、キン、と金属音をたてながら人が通れるほどの穴を開く。
 彼は、付いてこい、と言うように私の腕をまた引っ張った。
 球体の中に入った私を多くの人が出迎えた。だが皆、私をここに連れてきた彼と同じ、奇怪な宇宙服のようなものを着ていた。
 何より妙なのが、彼らの間で交わされる言葉が全く分からないことであった。私がシェルターに入る頃、世界は共通言語を使っていたはずなのだが。
 疑問に思っていると、彼らの内の一人が私に近づき、頭を覆っていたヘルメットを取った。そこで私はさらに驚く。ヘルメットの中にあったのは人の頭ではない、全く違う、妖怪の河童のような、とにかく、彼は人間でないのだ!
 思わず私は悲鳴をあげて後ずさりするも、彼はそっと手を差し伸ばしてきた。どうやら握手を求めているようであった。
「あ、え、はい、どうもよろしく……」
 宇宙服越しとはいえ、感触からして人間のものではない手であった。だが温かく、自分以外の生き物と出会えたことが、なんだかとても嬉しかった。
 それから彼らとの奇妙な生活が始まった。
 どうやら彼らは別の星からやってきたらしい。3Dホログラムのような立体投影映像で彼らの母星を見せてもらった。酷く荒れた星であった。砂漠が広がるばかりで、生き物らしい生き物はいない。どうやら星の環境が突然変わったらしい。おそらくだが、彼らは移住できる星を探しているのだろう。
 恐ろしい外見とは裏腹に、彼らは侵略をしにきているわけではないようだ。私を生かしておき、また友好的に接していることがその証拠だ。
 身振り手振りであるが、彼らとコミュニケーションを取りながら時を過ごしていった。
 
 どれほど時が過ぎたであろうか。なんと、ついに彼らが翻訳機械を完成させた。
「やあ! この時が来るのをどれほど待ち侘びたか!」
 彼は、聞きなれた共通言語でそう語り掛けてきた。
「おお! 言葉だ! 会話ができる! これほど嬉しいことはない!」
 私は感激のあまり、涙を流しながら答えた。
「感動的だ……あまりに感動的で、何から話していいか……」
「そうだな、何を話せばいいのか……」
 途端に気まずさがこの場を支配した。思えば、生まれも暮らしも全く違うのだ。
 さてどうしたものか、と私は苦笑いをしながら考え込んでしまった。
 その時であった。突然息苦しくなり、頭が締め付けられるように痛み、強烈な眩暈が私を襲った。
「うぁ……ぐぅ……」
 いつの間にか私は倒れている。不安そうに覗き込む彼らの顔。ああ、もっと話がしたかった……。意識が遠のいていった。
 
「どうやら、この星の知的生命体は特定のストレスに免疫がないようですね」
「なんだって! 特定のストレスとはいったいなんだ!?」
「会話によるコミュニケーションにおいて、何を話していいか分からなくなった状態に生じるストレスです」
「しまった、もっと彼のことを研究しておくべきだったな」
「それにしても、翻訳機械が完成して、これからってときに死ななくてもねぇ……」
「まったくだ、もっと空気を読んでほしいものだな」