025.群体人間

 最近仕事でヘマをしてばかりだったからかもしれない。それか夜中にアニメDVDを観すぎているせいかもしれない。つまりストレスか、身体の疲れか、とにかくそのどちらかもしくは両方が原因だと思う。

 でなけりゃ、俺の左半分が勝手に動くなんてことの、説明がつかない。
「おいおいおい、現実逃避してるんじゃねえっての」
 俺の左側は、朝起きて顔を洗おうと洗面台に立ったときに、突然動き出した。鏡に映る俺の顔。左半分だけが奇妙に蠢いて、勝手に喋っている。
「これは幻覚でも、多重人格でもねえよ。俺は俺としてここに存在してる、お前と同じようにな」
 やべえ。これ絶対駄目なやつだ。俺、狂っちまったんだ。やっぱり合わない仕事なんか、続けるんじゃなかった。とにかく病院だ、病院行って、頭を治してもらわないと。
「はぁ~、お前、ほんっと頭悪いなぁ。まあそんなお前とは今日でお別れだわ」
 メリメリメリッ、ゆっくりと何かが剥がれていくような音と、むず痒いような感覚。
 鏡に映る俺は、身体の真ん中から左側が、右側から離れていた。
「えっ! は!?」
 慌てて右目で左側を見る。右手で左側を押さえようとするも、左手がそれをはたく。
「邪魔すんなよ……よっこらしょっと」
 急に身体のバランスが不安定になり、俺は倒れてしまう。
「さすがにいきなり離れると、慣れねえな」
「おおいおいおい! どうなってるんだよこれ!」
「どうなってるって、見りゃ分かるだろうよ」
 確かに見ればすぐに分かることだ。俺の左側が、離れてしまったのだ。
 俺は右半分になってしまった頭を右手で抱えながら、分離面を覗き込んでみる。
「な、なんだこりゃ」
 傷一つなかった。つるりとした分離面。着ていた服だって、真ん中から綺麗に分かれてある。
「服は昨日の夜のうちに切り取り線いれさせてもらったぜ。ま、お前の服の半分は俺のものだし、悪く思わないでくれよな」
 なるほど、切り取り線ね、納得……するわけがない。俺は右手で身体を起こし、何とか右足だけでバランスを取りながら立ち上がる。
「そういうことじゃなくて! どうして身体の右側と左側が分離するんだよ! っつうか、勝手にべらべら喋ってるけど、お前は誰なんだよ! 俺の左側を返せ!」
「はっはー! 返せときたもんだ、威勢がいいねぇお前は。誰って言ってるけどよ、俺は見たまんま、お前の左側だよ。そんで、お前の左側は元々俺のものなんだよ」
 左側は意地悪く、にやりと笑った。
 
 全世界で同じ現象が起きているようだ。テレビやネットで大々的に報道されている。どいつもこいつも片側しかない。
 群体生物。色んな生き物がくっ付き合い、まるで一つの生き物のようになっている存在。どうやら人間もその群体生物だったらしい。
 身体の右側と左側は複雑に絡み合いくっ付いていただけで、一つではなかったのだ。
「つーわけで、お前にとって利き腕じゃないほうの左側の俺は、実は別の生き物でした~」
 けらけらと楽しそうに笑う左側。いつの間にか勝手にコーヒーまで淹れて飲んでいる。
「……とても信じられないけど、納得はしたよ。んで、お前これからどうするんだよ」
「んー、とりあえずは自由を楽しむ予定だよ」
「自由、ね」
 人々から分離した半分側たちは、それぞれ自由を求めて、どこかへ去っていった。
 そのうち、右側派とか左側派とかいう派閥もできたらしいが、大した暴動もなく、沈静化していった。
 やはりお互い両側に慣れた身にとって、片側だけの生活は自由よりも苦痛でしかないのだろう。
「いやーやっぱり、片側ってのは面倒だな」
「そうだろ、いい加減戻ってこいよ」
 こうして全世界を混乱に陥れた、右側左側分離事件は終わった。
「左側も大切に使ってくれよ」
 みちみちみち、とむず痒い感覚がして、左側は俺に帰ってきた。
 たまには右側だけでなく、左側も使ってやろう。
 
 俺は妙なむず痒さで目を覚ます。もしかしたら、また左側が分離したのかもしれない。懲りない奴だ。
 うんざりした気分になりながら、左側を見る。だが左手はちゃんとそこにあった。
「変だな……」
 起き上がるため下半身に力を入れようとしたところで、気付く。
「ない……」
 俺の下半身がなくなっていた。
 すたんすたんすたんたんたん。ベッドのそばに立っている、俺の下半身がステップを踏んで、何かを訴えていた。