021.完全犯罪アパート

 この世の快楽という快楽を、全て味わい尽した。

 俺は先祖代々続く財閥の子であり、そしてその跡取りだ。血筋なのか、仕事も上手くいっている。元々金は腐るほどあり、さらには仕事で次から次へと入ってくる。
 正直退屈だった。こんなにも人生上手くいくなんて、夢もクソもあったもんじゃない。刺激の一つや二つ欲しいところだ。
 だから俺はありとあらゆる、酒、煙草、女、賭博、麻薬、に手を出した。だがどれもすぐに飽きてしまう。最初は良くてもあっという間に慣れてしまい、こんなもんかと拍子抜けしてしまう。
「面白いもんがあるぜ」
 そんなときに遊びにやってきたのが鳥井だった。鳥井も俺と同じく財閥の子で、金と退屈を持て余していた。
「なんだよ、面白いもんってよ」
 この前見たときは、暇すぎて死にそうだってくらいの顔をしていたんだが、今は実に満たされたって感じだ。
「へっへっへ……どうしようかなぁ、教えてやろうかなぁ……」
 にやにやいやらしく鳥井の胸倉を掴んで、俺は凄む。
「教えろよぉ~」
「はいはい、教えるって菱光、離してくれって」
 俺は手を離し、鳥井を椅子に座らせる。
「実はな、すっげえ楽しいアパートがあるんだよ……」
「楽しいアパート? 豪華なのか?」
「いやいや、それがボロボロのアパートでな、汚くて湿っぽくて臭くって……」
 話を聞いているだけじゃ、とてもじゃないが楽しそうには思えない。
「まあとにかく、行ってみるこった。アパートの管理人の連絡先教えるからよ」
 鳥井はアパートの管理人とやらの名刺を差し出して、またにやにやしながら出ていった。
「そんじゃ楽しんだら、話聞かせてくれや」
 俺は少し悩みながら、名刺を眺めていた。
 
 少し悩んだが、退屈を持て余している俺、すぐに決断し、名刺に書かれてある連絡先に電話をした。
 電話に出た男は、実際にアパートを見てほしいと言ってきた。
 俺はさっそく家を出て、そのアパートに行ってみる。
「やあどうもいらっしゃいませ菱光様」
 そのアパートは、鳥井が言っていた以上に酷いものだった。
 外壁はひび割れて、玄関のドアは錆びつき、建付けが悪くあらゆる扉は簡単には開かなかった。
 鳥井め、いったいこれのどこが楽しいんだ。
 ムカつきもしたが、まあ結局退屈なのは変わらない。とりあえず、アパートの一室を借りてみることにした。
 隙間風が吹く部屋の中、かび臭い布団の中に潜り込む。
「俺、なんでこんなことしてるんだろ……」
 なんだか空しくなりながら、暗い天井を眺めていた。
「ん? なんだあれ」
 天井に光る点を見つけた。おそらく天井に穴が空いていて、二階の部屋の明かりが漏れているのだろう。これだけボロいアパートだ、さして不思議ではない。
 この夜はそのことを大して考えもせず、眠りについた。
 朝起きて、部屋の中を少し漁ってみた。部屋には古い机が一つ置いてある。
「これは……画鋲と、小瓶?」
 机の引き出しの中にはケースに入った画鋲と、茶色の小瓶、そして一枚のメモが入っていた。画鋲のほうは不自然なところはない。だが小瓶とメモは不自然だらけだ。
『1.このメモを読んだらすぐに燃やすこと。2.小瓶は日本にも生息している虫の毒が入っている。3.毒は強烈でわずかでも体内に入れば死ぬ。』
 ぞわぞわと騒ぐように、一気に鳥肌が立つのが分かった。
「なるほど……面白いもん、ね」
 自然と顔に笑みが浮かんでしまう。暗く醜い笑みが。これまでに味わったほどの興奮、心臓がどくんどくんと強く脈打ち始める。
 
「よお鳥井、お前の言う通り、あれは面白いもんだなぁ!」
 やってきた鳥井に俺はそう笑いかける。
「へっへっへ、そうだろそうだろ。で、お前はどうやったのよ?」
「俺はな、画鋲に毒を塗って天井に刺しておいたんだ。二階の住人がその画鋲を踏んで……アーッハッハッハ!」
「ひーっひっひっひ!」
 俺と鳥井は腹を抱えて笑った。
「お前はどうやったんだよ鳥井」
「俺? 俺はね、二階に住んでたんだけどよ。床に穴を空けてな、寝ている一階の住人の口の中に、毒をポチャン……しかもその毒ってのが、一階に住んでいる奴が飲んでいる睡眠薬を、凝縮したものだったからさ、自殺で片付いちゃうわけ……クックック」
「最高だなおい! 俺なんてよ、虫の毒使ったから、警察が来て『毒虫が潜んでいる可能性があるので、ここから退去してください』なんて言われてよ! これが完全犯罪……こんなに興奮したのは生まれて初めてだ!」
 それから俺たちはずっと酒を飲みながら、もしまた人を殺すとしたらどんな方法で殺すか、ということを話し合った。
 やがて酔いが回り、俺はソファーでいつの間にか眠っていた。頭がふらつきながらも俺は目を覚ます。鳥井はどうやら帰ったようだ。暗い俺の部屋、誰もいない。いないはずだった。
「……どうして、どうして殺した……」
 どこからか囁き声が聞こえた。低く、ゾッとする不気味な男の声。
「誰だ、どこにいるんだ?」
「……俺には、何の恨みも……なかったはずだろ……」
「何を言っている? お前は誰だ? 出て来いよ」
 声は揺れるように、あちらこちらから聞こえてくる。
「忘れたとは言わせないぞ……お前が……お前が……俺を殺したんだろう!」
 カッと部屋が一瞬明るくなる。
「お、お前なんでここに……いや、お前は……死んだはずだろ!?」
 俺の前に、青白い肌の、あいつが現れた。俺があのアパートで殺した、二階のあいつ。
「うわああああああああ!」
 どうして、どうして生きているんだ! 身体中の震えが止まらない、とにかくここから逃げなくては、殺されそうな気がする! だが酔いもあってか、足に力が入らない。
 ふっと、部屋の明かりが突然消えた。また暗い部屋になる。そしてそこにはあいつの姿はなかった。
「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ」
 呼吸が無意識に早くなっていた。あれは、夢だったのだろうか……やけに現実味のある、夢だったのか……いや夢だ、夢に違いない。夢じゃなかったら……幽霊だ。
 
 それからというもの、俺が一人になると時たまあいつは現れて、恨みを訴えてくる……。
「やめてくれ……もう許してくれ……」
「許さない……許さないぞ……」
 俺はろくに眠れもせず、疲労は溜まる一方だった。
 誰に言っても信じてもらえない、医者を勧められることもあった。
 本当に、頭がおかしくなりそうだった。もう限界だ、そう思ったとき、アパートの管理人がやってきて、こう言った。
「お楽しみ、いただけましたでしょうか? これが我々が提供する、非日常でございます。完全犯罪の興奮、幽霊の恐怖、どちらも普段は味わえないものでございます」
 殺したはずのあいつも出てきて、笑う。幽霊などではない、ちゃんと生きている。
 そうか、ここまでが、商売だったのか。俺は恐怖から解放されて、ほっとする。この安心感も、久々のものだった。