001.生まれ変わりはありまぁす!

 私の師匠、生物学者のトレンド博士は偉大な人物である。

 約二十年前生物学界に彗星のように現れ、物議をかもすような論文を次々と発表し、そしてその正しさを証明していった。
 博士がいなければ、今の生物学界は存在していなかったと言っても過言ではない。
 そんな博士が、先ほど自殺した。自殺の方法は首吊り自殺であった。博士がとある論文を発表してから、大体一年後のこととなる。
 私は博士の遺体を発見した最初の人物だ。
 博士の唯一の弟子である私は、朝、研究所に出勤したときには博士の研究室を訪れ、挨拶をするのが日課であった。故に研究室で冷たくなった博士を最初に発見することとなったのだ。
 おそらく前日の夜に首を括ったのだろう、顔は紫に変色しており、目玉は飛び出し、舌は口の中からだらしなく垂れ下がっていた。
 私は火葬場に連絡し、博士の遺体を引き取ってもらった。
 
 ふぃぃぃりりりぃぃぃぃ、と頭が痛くなるくらいに甲高く不快な音で私は無理やり眠りから引き起こされた。この独特な音は博士が考案、開発した「どんな状況でも絶対に気付くことができる音」だ。今では警察や消防、救急、自衛隊など、緊急事態に対応を要求される機関に導入されている。
 その音が私の携帯電話の着信音、アラーム音に設定されている。なぜなら以前博士が私の携帯電話に悪戯でこの音を設定し、どうやったらここまで強固にできるのか、と感心するほどのロックをかけ、設定解除できなくしてしまったからだ。
 優れた頭脳を持つ博士には、反面そのような子どもじみたところもあった。天才と呼ばれる人たちは、皆、少なからず変わったところがあるものだ。ただ博士の場合は超人的な頭脳と悪戯好きが組み合わされ、洒落にならない出来事を起こすこともあったが……。
 音に頭を締め付けられながら私はそんなことを思い出していた。
 携帯電話のディスプレイをタッチし、通話へと切り替える。耳に当て、寝起きなのを気付かれないように、少し声を張る。
「もしもし」
 スピーカーの向こうから、淡々とした口調で言葉が並べられた。私はそれをぼんやりする頭でなんとか掴み、頭の中に収めていく。
「はい、はい、そうですか。ありがとうございます。支払いは博士の口座から、ええ、お願いします。それではどうも」
 携帯電話を耳から離し、ディスプレイをタッチして通話を終了させる。
「誰から?」
 私の隣で、毛布で体を包み込み、頭だけそこから出しているフゥマが聞いてきた。その声にはまだ眠気が残っているように気怠く鈍い。
「ごめん、起こした?」
「あんな音鳴らされたらどんなに熟睡してても起きるっつーの」
 フゥマは頬を膨らませ、口を尖らせながら言う。
「で、誰からだったの?」
「火葬場からだったよ。ほら、今は火葬場も混んでるから、博士を燃やすのにも順番待ちだったんだよ。それがさっきようやく順番が回ってきてね」
「火葬場の人たちも大変ね、毎日こんなに自殺者が出るんだもの」
「仕方ないよ。皆、暗い今よりも明るい未来のほうを選ぶさ」
「あ、ほら、博士のことニュースでもやってるんじゃない?」
 フゥマは毛布から手を出して、壁と一体化したモニターの電源を入れる。即座に壁が明るくなり、ニュースキャスターの顔が壁一面に大きく表示される。
 ニュースキャスターは爽やかな笑顔に真っ白な歯を覗かせて喋り始める。
『先ほど、あのトレンド博士の遺体が火葬場にて燃やされました。この件についての公式発表はありませんが、やはり博士は自分の考えに従って自殺されたんでしょうね。どう思いますサヤマさん?』
 小柄な女性ニュースアナウンサーが答える。
『うーん、私もそう思います。博士も今に不満だったんでしょうねぇ。だから、生まれ変わったんですよ、論文の通りに! 実際私の友達も、たくさん生まれ変わるために自殺してますし、自殺は今大ブームですよ!』
『そう、今のブームは自殺! 一年前、故トレンド博士が生まれ変わり実在説の論文が発表されて以来、今を生きる人たちは未来に向かってどんどん自殺しております! この番組も未来に向かって生まれ変わる自殺を応援しております!』
『それでは次は、今人気の自殺スポットをご紹介します』
 
 博士が発表した論文の内容は、生まれ変わりの存在についてだった。
 半信半疑だった私に、博士はこう説明してくれた。
「いいかねオリコンくん、私たち生物学者たちが、人体の構造や仕組みを解明したところで、それらを機械で再現することは不可能なのだよ。それはただの機械だからね。人間以外のどの生物だって同じことだ。クローンなど、あれは既に存在する細胞を培養したに過ぎない。停止した脳みそと停止した肉体を完全に復元し、繋ぎ合わせたところで動き回ることなどない、それはただの肉の塊だよ。つまり無から有を生み出すことは、我々にはできんのさ」
 トレンド博士は、ハードディスクを初期化したパソコンを指差して続けた。
「あのパソコンと同じだよ。いくらCPUやメモリやマザーボード、ハードディスク、電源があったところでOSがなければパソコンとして機能しない。人間も同じなのだよ。OS、つまりは魂がなければ動かない」
「しかし博士、魂の存在は認められていませんよ」
「多次元理論を使えばよろしい。魂は我々が存在する次元では認識できないのだよ。そしてその魂は有限で無限ではない。その偉大なエネルギーは、肉体が滅びた場合、新しい肉体へと移るのだ。それが生まれ変わりということなのだよ」
「素晴らしい! これはまた大発見をしましたね博士!」
 
「論文が取り上げられてから、あっという間だったわね。自殺ブームが来るの」
 着替えたフゥマがテーブルに朝食を並べながら言った。漂ってくる香ばしいトーストの香りが鼻を楽しませる。
「まあ、博士は弁も立つからね。どんなにありえないと思える論文も、博士が直接説明すると、不思議と納得してしまうんだよなぁ」
 コーヒーを一口啜り、さっと広がる苦味で、かすかに残っていた眠気を散らす。
 タブレットで今朝届いたチラシを読みながらトーストを齧る。
「お、新しい自殺グッズだってさ。既存製品の三分の一の苦しみで死ぬことができる、ふーん、これ中々良さそうだ」
「買っちゃおうよそれ」
「おいおいフゥマ、もしかしてきみも生まれ変わりたいのかい?」
「そうじゃないけど、一応、ね。いつ今が嫌になるか分からないじゃない。備えあれば憂いなしよ」
「うーん、けれどもこういうのってすぐに新しいのが出るじゃないか」
「……そう」
 フゥマはつまらなそうに呟いて、自分のタブレットに視線を移した。どうやら少し不機嫌になってしまったようだ。やれやれ、彼女は気難しいのだ。
 朝食を食べ終えた私たちは、外へ散歩に出かけることにした。未だ直らないフゥマの機嫌を取るためでもあった。
 小鳥たちのさえずりを聞きながら、のどかな公園を歩く。まだ少し冷たい春の風が頬を撫でる。若草の青い匂いが鼻孔に広がる。
 心なしかフゥマの機嫌も良くなったようだ。
 しばらく公園内を歩いていると、フゥマがある方向を指差しながら声をあげた。
「見て見てオリコン! あれって心中じゃない!?」
 フゥマの指差す方向を見ると、花を咲かせ始めた桜の木の下で、若い男女が手を繋ぎ合って横になっている姿が見えた。
 近付いて、若い男の鼻元に耳を近づけてみると既に息がないことが分かった。近くには睡眠薬の瓶が転がっている。
『ご迷惑をおかけします。あなたがぼくたちを見つけた時、もしまだ息があったら放っておいてください。そしてもしぼくたちがもう死んでいたら、火葬場へご連絡をお願いします』
 若い男が着ていた上着のポケットには、そう書かれた手紙と数枚の紙幣が入っていた。
「はぁ、綺麗だわこの女の人。綺麗に死んでるわ。やっぱり、死ぬなら若くて美しいときに死ぬのが一番だと思うの」
 フゥマが溜息を吐きながら、地面に横たわる若い女の顔を見つめている。
「ロマンチックだわ……」
 フゥマがそう呟いた。
 
 心中した若い男女は、私が連絡した火葬場の人たちによって、死体安置所へと運ばれていった。さて、彼らが燃やされるのはいつになるのだろうか。
「ねえオリコン、やっぱり心中って素敵だと思わない?」
「また自殺の話かいフゥマ、きみには何不自由なく暮らしてもらっていると思っていたけれど、それは勘違いだったのか!」
 しつこいフゥマに、私はつい声を荒げてしまう。
「違うの、違うのよ。ただね、私たちも自分の死に方について決めておいたほうがいいんじゃないかって思うのよ。ほら、何の計画もなく突発的に自殺、なんて美しくないもの。こういうのはあらかじめ計画を立てておいたほうがいいのよ」
 フゥマが柔らかい体を私に押し付けながら、耳元で甘く囁く。
 ふぅむ、自分の死に方か、考えておくだけなら、いいかもしれない。
「そうかもしれないな、うん。ごめんよフゥマ、怒鳴ったりして」
「いいのよ。それよりほら、今、旅行代理店で心中フェアってのをやってるのよ。帰り道、少し寄っていって見ていかない?」
 フゥマが私の方にタブレットを突き出して、ディスプレイにウェブサイトを表示させる。
『春の心中フェア、死ぬなら今しかない! 来世へ向けて豪華に死のう! 最後の思い出作りプラン』
「やれやれ、珍しく素直に散歩に付き合ってくれたと思ったら、これが目的だったのか」
 思わず苦笑いをしてしまう。フゥマは抜け目がないのだ。
「そんなこといいじゃない、ほら行こう? 最近混んでるんだからここ」
 フゥマに手を引かれながら、旅行代理店へと進む。私は内心、こんな心中も悪くない、と思い始めていた。
 それにしても不思議なのは博士の自殺だ。いくらもう老人だからといって、自殺し来世へ旅立ちたいと思うほど、悪い人生ではなかったはずだからだ。なんて言ったって生物学界のカリスマだ、まだ生きていて損はない。
 死に方だってそうだ。首吊りなんて、かなり苦しい死に方だ。博士ほどお金があれば、もっと良い死に方だってあるはずだったのだ。
 頭のどこかに、小さな不安を抱えながら、私たちは心中の方法を決めに行った。
「ふふっ、なんだかわくわくしない? 私たちには、素晴らしく明るい来世が待ってるのよ?」
 私の不安を掻き消すように、フゥマは満面の笑顔でそう言った。
 
 
 
 無事着陸したシップより、私はこの星へと降り立った。大地一面に広がる、美しい緑色をした背の低い植物。天には無限に広がる綺麗な青。興味を引かれる面白い形をした生物、特に私は空中を自在に飛行する小型の生物がお気に入りだ。
 皆がこの星の調査を希望するのも納得だ。この星は素晴らしい! 煤けた母星の比ではない!
 だがそれ以上に興味深いのは、あちこちに存在する謎の建造物群だ。
 どうやらこの星にはかつて知的生命体が存在し、そして中々高度な文明も存在したらしい。数々の調査によってそれは判明している。
 そして、どうやらその知的生命体たちは既に滅亡してしまったらしい。
 いったい彼らに何が起こったのか、それを調査するのが我々の任務であった。
 この美しい星に移住するには、まず滅亡の原因を判明させなければならないのだ。この星がどんなに美しくても、凶悪な生物や病原菌、また定期的に起こる天変地異などがある場合、移住には不向きだからだ。
 私はさっそく、知的生命体たちが残した建造物の一つに入って調査することにした。建造物の入り口には知的生命体が使っていたであろう文字『トレンド生物研究所』が刻まれていた。我々にはまだ彼らの文字を解読することはできないが、とりあえずそれを記録する。
 どうやらこの建造物では何かを研究していたらしかった。さまざまな機械、そしてこの星の生物の標本が土埃を被っていたが現存していた。状態も悪くない、これは大きな収穫だ。さっそくマザーシップにデータを転送する。
 建造物から出ようとした際、私は何かを踏みつけた感触に気付く。地面を見ると、そこにはある物体があった。手に取ってみる。
 薄っぺらいものを束ねた物体、どうやらそれは知的生命体たちの記録媒体のようだった。ぎっしりと文字が敷き詰められている。
 その束の一番上に書かれた文字を、私はスキャンして記録する。
『生まれ変わり実在説:トレンド著 論文発表日付:2015/4/1』