012.スキマビジネス

 技術の進歩というのは、人が考えているよりも早く、そして凄いらしい。

 ほんの十年前までは、脳をネットワークに繋ぐなんてことはSFアニメの世界だったらしい。だが今ではそれがもう一般化していて、もはや日常生活には欠かせないものとなっている。老若男女問わず広く普及したのは、施術が簡単で安全、そして安価だという理由もあるが。(血管にネットワーク接続マイクロマシンを注射し、脳のレセプターにそのマイクロマシンが収まることで施術は完了する)
 しかしこれほど画期的な技術が開発されたとしても貧困というものはなくならない。
「何度見ても少ないよなぁ、数字……」
 私はモバイル端末で電子マネーバンクの残高を何度も確認しては、その度に溜息を吐いている。
「最近働き口もないし……かといって特殊な職に付けるような資格も持ってないし……」
 私は数少ない有人コンビニエンスストアのバイトを先日解雇にされたばかりだった。とうとうそのコンビニエンスストアも無人化営業することに決まったらしい。そのほうが費用を抑えられるからだ。
「技術が進歩するのも考えものだよ、全く」
 いくら眺めていても電子マネーの数字は増えないので、モバイル端末をベッドの上に放り投げる。
 貯金もなければ無心できる家族も友人もいない。さてどうしたものかとベッドに寝転がりながら悩んでいたら、先日ネットをしていたとき脳に送られてきた広告記憶のことを思い出した。(広告記憶、広告チラシや広告メールのような広告が記憶データとして送ったり受け取ったりできる技術。つまりマーケティングターゲットに送った広告を『思い出させる』ことができる)
『スキマビジネス始めてみませんか? 何の資格も経験もいりません! 余ったところで賢く稼げる!』
 記憶にはこういった宣伝文句が残っている。なんだか怪しいが、今は何にせよ金が欲しい。生活すらままならない状況なのだ。四の五の言っていられない。私は記憶されていた住所へと行ってみることにした。
 
「スキマビジネスというのはですね、脳のスキマを使うんですよ」
 私を出迎えてくれたのは、広告記憶を流した企業の担当者、若く可愛らしい女性であった。
「へえ、脳のスキマ、ですか」
「人の脳というのは、普段は全体の10%程度しか使われていないんです。ただし使われている10%の部分というのは常に同じ部分ではなく、運動したり本を読んだり音楽を聴いたりで、使われる部分は変わっていくんです」
「なるほど、勉強になります」
「ですがその余った90%をそのまま眠らせておくのは勿体なくはないですか? そこで私たちが提案するのがスキマビジネスです」
「つまり、『スキマ』というのはその余った脳の部分、90%のことを言っているので?」
「その通り! なぁんだ、飲み込みが早いですねぇ」
「いやあそれほどでも」
「そのスキマを、我々にお貸しください。お貸ししていただいた期間に応じて、我々どもから貴方様に報酬をお支払いします」
「貸す、ですか……ちなみに報酬というのはどれくらい……」
 担当者の女性はホログラムディスプレイを指先でスイスイと操作し、数字を表示させる。……驚いた、なかなかの金額じゃないか。有人コンビニエンスストアのバイトよりも良い。
「こんなに貰えるのですか!?」
「ええ、ただ現在はこの金額、ということです」
「現在は……?」
「このスキマビジネスに参加してくださる方が多ければ多いほど、一人当たりの報酬は当然減っていきますからね」
「さ、参加させてください!」
 報酬が減るのなら今のうちに稼いでおかなければ。私は説明をほとんど聞かずに、このスキマビジネスに参加することにした。
 契約書にサインして生体情報を登録し、そして施術に入る。通常、脳にアクセスできるのは脳の持ち主である私だけだが、この施術により脳へのアクセス権を企業も持つことができるらしい。施術内容はマイクロマシンを注射するという簡単なものであった。
 施術後も大した変化はないように思える。こんなもので金が貰えるのか、と私は半信半疑ながら帰宅した。
 
 バイトを解雇されて以来、人と会っていなかったからか、なんだか非常に疲れていた。家に帰った後はすぐベッドに潜り込み、あっという間に眠りについた。
 そして朝、起床してモバイル端末を見る。
「……本当に金が振り込まれている」
 モバイル端末の画面には、電子マネーバンクが表示されている。金額が増えている。
「何もしていないのに金が貰える時代が来るなんてなぁ」
 とうとう貧困がなくなる時代が来たのだろうか。昨日までの憂鬱が嘘のように、気分が晴れやかだった。今ならなんでもできそうだ。
「寝ていても脳は企業が勝手に使ってくれるからな」
 一日中ずっと寝ていてもいい。観たかった映画を観てもいい。聴きたかった音楽を聴いてもいい。なんて自由なんだ。
「でもまずは、飯だな飯。人間、どんなに技術が進歩しても腹は減るんだ」
 金も入ったし、少し良いものも食べたい。そうだ、肉が食べたい。それも牛肉、ステーキなんて良いだろう。私はさっそく記憶領域にストックされた広告記憶を漁る。ステーキ店の広告をいくつか思い出した。
「お、この店なんて良いな。ここに行ってみようか」
 私は久々に食べられるステーキの味を想像しながら家を出た。
 
「しかし、きみのところはまたしても素晴らしい広告技術を開発してくれたね」
「いえいえとんでもない。既に一般化されている広告記憶を少し先に進めた程度の技術ですよ」
「そんな謙遜するんじゃないよ。これはすごい技術だよ。報酬を餌に人を集め、脳へのアクセス権を手に入れる。そしてその人たちの無意識領域に、ある特定の企業の商品や店を好きになるようインプットする……」
「すると報酬に釣られた人々は、おたくの賞品や店舗を贔屓するようになる、無性に買いたくなったり食べたくなったり行きたくなったりする……」
「はっはっは! 笑いが止まらんよきみぃ!」
「このスキマビジネスに参加する人が増えれば増えるほど、おたくの売り上げは伸びて、我々が頂ける報酬も増えますからね! あっはっは! まさに人々の心のスキマを突いたビジネスですよ!」