011.あなたの信じる死神

 俺の最後の記憶は、食パン咥えて走ってきた女の子と道の角でぶつかり、道路へと突き飛ばされて、そこに大型トラックが迫ってくる、という光景だ。

 そして今、俺の目の前には俺自身がいる。いや、いるというよりもあるって感じだ。なぜなら目の前の俺は、首や手や足といった関節すべてが捻じれ、それぞれが好き勝手な方向に伸びている。そして俺の着ていたワイシャツを染めるどす黒い赤。生気がなく濁った眼。
「あ、これ俺死んだやつだわ」
 さすがに目の前に自分の死体があると認めざるを得ない。つってもなんだか俺は冷静で、うわー自分ながらキモい死に方しちゃってるわーってドン引きしている。
「それにしても、幽霊とか本当にあったのな。そっちのほうがびっくりだわ」
 一度俺は今の身体を見る。服装とかは生きていたころのものと同じで、だけども全体的に半透明、そして何より宙に浮いていた。方向を念じると、ふわりふわりと漂うみたいにして移動できる。
「驚かれるのも無理はありませんよ。みなさん、死んだことよりもむしろ幽霊の存在に驚きますからね」
 と急に後ろから声をかけられて、振り向いてみるとスーツを着て、黒縁メガネをかけた気真面目そうな男が立っていた。いや浮いていた。しかも半透明。
「あれ、あんたも幽霊?」
「幽霊と似たようなものですが、正確には違いますね。私はこの地区を担当しております死神です」
 へえ、死神。とこれまた俺は冷静なんだが、まあ幽霊がいるなら死神もいておかしくないだろう。けれども、思っていた死神のイメージとはえらい違いだ。
「ふうん、死神ね。んで、俺の魂とか刈っちゃうわけ?」
「そんなことしませんしできませんよ。私の仕事はこの現世から霊界に送り届けることです」
「霊界?」
「はい、そこで色々と手続きがありますが、簡単に言ってしまえば天国か地獄かに分けられます」
「地獄って、おいおい地獄に行くこともあるのかよ」
「事前調査のためにお聞きしますが、あなたは生前人を殺したことがありますか?」
「いや、ねえけど」
「それならたぶん天国ですよ」
 ってすっげー簡単な判断基準だな。っても、まあ小さな罪でどいつもこいつも地獄に送っていたら、切りがないんだろうな。
「ではまず、法律によって定められた死亡税を徴収します。現在お金はいくらお持ちですか?」
「税、って金取るのかよ!?」
 金って言っても俺死んでるし、って思いながら生きているときに財布を入れていたポケットに手をやってみる。あ、財布あるわ。中身も……入ってる。
「高校生だし5000円と小銭程度だけど」
「それでは半分の2500円徴収いたしますね」
「あ、はい」
 半透明な五千円札を差し出して、俺は役人じみた死神からお釣りとして半透明な千円札二枚と五百円玉一枚を受け取る。
「それでは霊界へご案内しますので、ついてきてください」
「あのさ、その前にさ、色々と家族とか友達とか見ておきたいんだけど」
「今はできませんよ。霊界にて現世交霊申請を行ってください。なお現世降霊は混雑しておりますので、申請して、大体現世時間に換算すると五年半はかかります」
「ちょちょちょ、そんなに待ってらんないよ。すぐ、すぐ済むから! な?」
「駄目ですって……ちょっとどこ行くんですか!?」
 俺はその役人じみた死神の制止を無視して、自分の家がある方向へと念を送る。すると俺の半透明な身体はスーッと進んでいく。
「すぐだから! 待っててくれよ!」
 俺はまず自分の家に行くことにした。
 
 住宅街にあるこじんまりとした一軒家。それが俺が住んでいた家だ。
 さて、一体どうやって家の中に入ろうか、と考え込んでいたら家の戸が突然開く。出てきたのは涙で顔がぐしゃぐしゃになってる俺の母親。
 あちゃー、さすがにこういうの見ちゃうとなー、申し訳なくなっちまうよなー。孫の顔も見せることできなかったし。でもまあ、いずれ天国で会えるだろう。
 さーてオカンの顔も見れたし次は友達のあいつの顔でも見に行こうかなーって思っていたら、また声をかけられる。
「おいそこのお前、止まれ!」
 そいつは警察官の格好をしていて、これまた半透明で空中に浮いている。
「止まれって言うんなら止まりますけど……もしかして、おまわりさんも幽霊?」
「本官は幽霊ではない! 貴様らのような違法幽霊を取り締まる死神警察だ!」
 け、警察? 冗談言ってんのか? って、おまわりさんはどう見ても冗談言っている様子じゃない。
「あ、あのですね、俺さっき死神の人と会いましてですね、霊界に行く前に家族とか友達とかの顔を見るってんで、今待ってもらってるんですよ」
 って、俺はちょっと嘘を混ぜながらも説明する。
「そんなことは関係ない、違法は違法! 貴様を現世違法滞在の罪により逮捕する!」
 死神警察がこちらのほうに詰め寄ってくるので、俺は慌てて逆方向へと逃げる。
「必ず、必ず戻ってきますんで見逃してください! それじゃ!」
「待ちたまえ!」
 幽霊になって間もない俺だったが、なんとか逃げ切ることができた。生きている頃、足が速かったことが関係しているのかもしれない。
 
 生きていないから息切れしないとはいえ、妙な疲労感があった。
「幽霊も……疲れるんだな……」
 しかし役人風の死神といい、死神警察といい、死んだ先の世界にも色々あるんだな。こりゃ生きてても死んでもあまり変わらないんじゃないか?
「お疲れのようですね」
 ってまたまた急に声をかけられて、俺は慌てる。
「な、なんだお前! 死神……えーと、役人か!? それとも警察か!?」
 声をかけてきたそいつは、妙にニコニコしながら近づいてくる。もちろん半透明で浮いている。
「申し遅れました、わたくし、死神商店株式会社のものです」
「し、死神商店……?」
「ええ、あなたの死をより美しく充実したものにするための、死神でございます」
「なんかよく分からないけど、そういう死神もいるんだな」
「まずあなた様のご要望は、ご友人と面会したいと察しておりますが、そういったプランもこちらではご用意しております」
「あ、会ってもいいのか!?」
「もちろんでございます」
 あの二人の死神と違って、こいつは良い死神だなぁって思っていたら、販売員風の死神は電卓を取り出してパチパチ打ち込んで、こっちに差し出してくる。
「これくらいのお値段になりますが」
「何々、75000円って高いなおい! っつーか金取るのかよ!」
「こちらも商売ですから」
 商売って、生きていないのに商売して何の意味があるんだよ……俺は財布の中身を見せる。
「さっき税金で取られて、今は2500円ぽっちしかないんだよ。何とかならないか?」
「ッチ、何ともなりません。ですが、働きになればよろしいのでは?」
「死んでるのに、働けるのか?」
「ええ、そういうところがございますので。よろしければわたくしのほうでご紹介しても」
「それは助かる!」
 販売員風の死神は一枚のチラシを取り出した。
『23時間労働! アットホームな職場です! 未経験者大歓迎! 自給350円!」
「ふざけるんじゃねえよ! そんなところで働けるか!」
「やれやれ、お金がなければどうしようもないというのに……仕方ありませんね、強制労働させます」
 強制労働なんてするものか! と俺はまた大慌てで逃げ出す。
「あ! 見つけましたよ! 早く霊界に行きますよ!」
「見つけたぞ貴様! 逮捕だ逮捕!」
「さあさあ強制労働で永遠に我が社のために働きなさい!」
 どこからやってきたのか、役人風の死神と警官風の死神も追ってくる。
 俺はこんな死神なんぞ信じるものか!
 
 気が付いたらあたしは空中に浮かんでいて、半透明だった。ありゃりゃーって下を見ると、バラバラになって飛び散っているあたしの死体。あ、そうだった、あたし自殺したんだった。てへぺろ
「あーあー、死んだら楽になると思ったのに、幽霊になるとはねぇ……」
 正直、もう何も考えたくなかった。無になりたかった。
「そう悲観するんじゃねえって」
 急に声をかけられる。驚いて振り向くと、ワイシャツを着た、あたしと同じくらいの歳の、半透明な男の子が浮いている。
「俺は死神。どうだ、最後に家族や友達、恋人に会いたくはないか?」
 誰にも会いたくなんてなかったし、何も思い残すことはなかった。思い残したくなんかなかった。
「何もないって感じだな。でも一つだけ言っておく。どんな死神を信じるか、どんな死を選ぶか、お前の自由だ」
 男の子の死神は、笑いながらあたしに手を差し伸べた。