010.トラモンクエスト

 勇者、それは世界を支配しようとする魔物の王、魔虎王を倒す存在である。そしてラトは代々勇者の家系であった。つまり父親も勇者であった。

 しかし父親は魔虎王を倒すも、命を失ったという。魔物の総本山である魔虎城へ向かう前に、父親はラトを身籠っていた女戦士の母親を村へと置いていった。その村でラトは生まれたのである。
 母親から父親の武勇伝を聞かされたラトは、すくすくと立派な男へと成長した。そしてラトが十八歳になったとき、帝国の王から呼び出しを受けた。
「魔虎王が復活し、魔物たちを率いて世界を襲っている。勇者ラトよ、父親のように魔虎王を倒すのだ」
 王から与えられた使命であった。ラトは戸惑いつつも、同じく勇者であった父親のような男になるため、魔虎王を倒すべく、旅に出た。
 辛く険しい旅であった。数々の試練、戦い、世界の全てを周り、時には仲間を得て、そしてまた時には仲間を失った。
 
 時は流れ、ついに勇者ラトは魔虎城へ向かうときがやってきた。
「リレン、きみはこの村に残ってくれ」
「ダメよラト、たった独りで戦おうだなんて」
 勇者ラトは、縋るリレンのお腹にそっと手を当てた。
「大丈夫だ、ぼくは必ず戻ってくる。きみのために、そしてこのお腹の子のためにもね」
 リレンはラトの手を握った。お互い、固く、そして傷だらけの手であった。しかし温もりは伝わってくる。そこには人の優しさが詰まっていた。ラトは手を握り返し、必ずまたこの温もりを味わおうと心に誓った。
 次の日、渋るリレンに後ろ髪を引かれながらも、勇者ラトは魔虎城へと向かった。
 魔虎城の国、そこは酷く荒廃した土地であった。冷たく乾燥した風が常に吹き荒れ、あちらこちらに根を張る毒花の花粉が舞い散り、ラトの体力を削っていく。
 事前に用意しておいた薬を飲みながら、ラトは一歩一歩、遠くにあるも大きくそびえ立ち、威圧を向ける魔虎城へ足を進めていった。
 絶え間なく襲い掛かる魔物の集団、魔虎城を守る屈強な門番を倒し、勇者ラトは魔虎王の前についに辿り着いた。
「フハハハ、よくぞここまで来れたものだ。誉めてやろう、勇者ラトよ」
 魔虎王、その姿は大きく、そして醜いものであった。岩のように盛り上がった筋肉が全身に鎧のように纏わりついており、また魔法を帯びた毛皮がジリジリと炎のように恐ろしく蠢いていた。
「どうだ、ラトよ。貴様に世界の半分をやろう。我の部下にならぬか?」
「ふざけるな魔虎王! 魔物風情が、貴様の配下に加わるくらいなら、死んだほうがましだ!」
 ラトは、魔虎王の放つ強大な力のオーラに身を震わせながらも叫んだ。負けるわけにはいかない、帰りを待っている人がいる。リレンのことを思うと、不思議と力が湧いてきた。
「ならば死ぬがいい、勇者ラトよ!」
 魔虎王の巨大な手がラトに振り下ろされた。虎のような爪が付いた手、その爪はどんな名剣よりも鋭い。
 ラトはそれを剣で受け止めず、素早く身を翻してかわした。そのとき魔虎王に大きな隙ができた。
「そこだ、食らえ魔虎王! 貴様に殺されていった人々の無念、苦しみ、悲しみ、そして怒りをその身で受けろ!」
 ラトは己に残された全ての魔力を剣に込めた。ラトが使おうとしているそれは、魔物との戦いで死んだ仲間、剣士テリーヌが残した技だ。
 光り輝き始めるラトの剣、薄暗い魔虎城を白く照らし出すほど、強く、熱い眩きであった。
 ラトが剣を振りぬいた時、確かな感触を感じた。重くも柔らかい、肉を切断した感触。ラトは魔力を出し切った疲労によりその場に跪いた。
「フ、フフフ、見事だラトよ」
 ラトが振り向くと、そこには口から大量に血を吐き倒れている魔虎王の姿があった。
「だが覚えておけ、たとえ我が倒れようとも、きっと第二、第三の魔虎王が誕生するであろう……勇者がいる限りな……」
 魔虎王はそう言い残すと、全身から黒い炎が噴き出した。標的を焼き尽くすまで消えないという闇の炎だ。
 そうして魔虎王は一つの骨も残さずして死んだ。ラトはこれまでの疲れと、今の勝利による脱力感から、強烈な眠気に襲われた。安堵したラトがそれに勝てるはずもなく、冷たく固い石床の上でしばしの眠りについた。このとき小さな疑念がラトの心の中に湧いていたが、甘くのしかかる眠気には些細なことであった。
 
「起きてくださイ、勇者ラトさマ」
 ラトは何者かによる揺さぶりで目を覚ました。そうだ、ぼくは魔虎王に勝ったんだ。夢じゃないんだ。と寝起きの頭で思い出しながら瞼を開き、自分を起こしたものの姿を見た。
「おはようございまス」
 ラトの目の前にいたのは、丁寧に挨拶をする骸骨の魔物、スケルトンであった。ラトは驚きながらも素早く手慣れた動きで腰に差してあるダガーを抜き、スケルトンに向ける。
「何のつもりだ魔物め! 戦いはもう終わった! お前の主、魔虎王は死んだんだ!」
「その通りでございまス。我らの偉大なる魔虎王はお亡くなりになりましタ。これから国葬の準備に我々は取り掛かりますゆエ、ラト様は我らが用意したお部屋にてお休みいただきたく思いまス」
「国葬……葬式か、魔物が随分と人間らしいことをするじゃないか」
 ラトはスケルトンの動きを一つも見逃してやるものか、と目を鋭くしながら答えた。
「我々にもあなたたちと同じように知性がありますゆエ……どうぞこちらエ、お部屋にご案内しましょウ」
 スケルトンはうやうやしく頭を下げ、ラトへ骨の手を差し出した。
「ふん、油断しているところを刺そうなどと思うな。ぼくはこれから人間の村に帰る、貴様らが用意した部屋でなど休むものか」
「しかし、先ほどの戦いで、魔虎城の国と人間の国とを繋ぐ橋は崩壊しましタ。修繕にはしばし時間がかかりましょウ」
 仕方なく、ラトはスケルトンについていき、用意したという部屋へと向かった。
 その部屋は薄暗く、酷く寒かったが綺麗で、手入れが行き届いていた。ラトは思わず久々の柔らかいベッドの上に寝転がった。
「何かご不便がおありでしたラ、何でもお申し付けくださいまセ」
 カタリカタリと骨の音を立てながら、スケルトンは言った。
「やけに礼儀正しいじゃないか。俺をどうするつもりなんだ?」
 ラトはまたダガーをスケルトンに突き出しながら迫った。
「戦争は我々の負けでス。勝利した者には従ウ、当然のことでありましょウ」
 釈然としなかったが、ラトは無理やり納得することにした。そして魔物たちはこれを戦争だと思っていたことに、ラトは少しだけ衝撃を受けていた。これは対等な立場同士の戦争ではない、正義と悪の戦いであると思っていたからだ。
 それからしばらくして、魔虎王の国葬が執り行われた。
 獣人、ゴブリン、スライム、デーモン、ダークエルフ、ドラゴン、様々な種族の魔物たちが列をなし、空っぽの棺に涙を流しながら祈りを捧げていた。
「何というか、慕われていたのだな、魔虎王は」
 魔物たちの、魔虎王への忠義がそこにはあった。魔虎王は絶対悪だと思っていたラトは、戸惑いながらも悪い気はしなかった。むしろ感動すらしていた。
「当然でス。人間たちにとっては恐ろしい存在であったかもしれませんガ、我々魔物たちにとっては指導者であリ、勇敢な戦士でもありましタ。この荒廃した土地で飢える魔物たちを救おうたメ、人間たちが支配している豊かな土地を手に入れようト、戦い続けたのですかラ」
 人間は、魔物だというだけで人里にやってきた魔物を容赦なく殺していた。ラトももちろんその一人であった。そこに正義や悪などはなかった。それが当たり前だと思っていたのだ。この土地は人間のものだと、当然のように思っていたのだ。
 だがこの魔虎王の国葬を見て、ラトの中で考えが変わっていた。人間と、知性を持つ魔物たちは何も違わない。ただ姿形だけが違うだけだ。
 ラトの中の正義が音を立てて崩れていった。
 
「いやぁ、ようやくこちらに来ることができましたよ。それにしてもこの度はよくやってくれましたね、勇者ラト殿。王もお喜びですよ」
 王に派遣された魔虎城担当大臣が、王宮魔術師の転送魔法で魔虎城にやってきた。
「しかし時間がかかったうえ、私一人しか来られないとは、誠に申し訳ない。この魔虎城の周辺は複雑な魔力のうねりがあってですな、様々な手段を用いて、私しか送り出すことができなかったんですよ」
 つまり転送魔法は行き限定で、大臣とラトが人間の国に帰るには魔虎城の橋を修繕するしか方法がないのであった。
「とんでもない、こちらに来られただけでも、そのご苦労を労う価値はありますよ」
 久々に人間に会えたラトは単純に嬉しかった。自分と同じ種族のものと会えたということもある。だがそれよりもラトは、ここで見て聞いたことを誰かに話したくて仕方がなかったのだ。
「大臣、聞いてください。まずここ魔虎城の国なんですが、酷く痩せた土地でして、ここの食糧問題など環境を改善しなければ、魔物たちはいずれまた人々を襲うでしょう」
「ほほう、改善ですか。興味深い話ですが、ラト殿、それは必要ありません」
「必要ないとはどういう意味ですか?」
「魔物たちは我が帝国の戦力となりうるものだけ生かします。それ以外は殺処分、それが王が下された命令です」
「殺処分だと! それでは魔物たちは余計人間たちに憎しみを抱きます! 争いは終わりません! 魔物たちも我々人間と同じように生きているのですよ!」
「そう、生きている。だから我々人間たちが野蛮な魔物たちを管理し、有効利用し、無駄なものは処分するんです。ラト殿、一体どうされたのですか。人が変わったようですよ」
「有効利用だと……」
「そう、今、王宮魔術師たちが魔物たちを操る魔法の首輪を作り始めています。魔法の首輪を付けられた魔物は、人間の命令に逆らうと死よりも辛い苦しみが襲うのです」
「悪魔め……」
「はい? 何かおっしゃいましたか?」
 ラトは何も言わず、部屋へと戻っていった。
 こんなにも人間は醜いものだったのか。ラトは頭を抱えながら、涙を流した。大臣が来るまでにラトはこの国の現状を見ていた。飢えに苦しむ魔物の子たち。毒花の花粉による病気に苦しみながら死んでいく魔物たち。そしてそれを悲しむ魔物たち。
 それを知らず、人間たちは豊かな土地で無意味な争いを続けているのであった。その争いに、無関係な魔物たちを利用しようとする帝国の王。ラトは抑えきれない怒りから、ある決断をした。
 
 トラゴラム、それは禁じられた魔法であった。その魔法を使ったものの身体は虎に似た獣人のものとなり、強大な力を手に入れる。しかし代償として二度と人間には戻れず、また死すときその身体は闇の炎に焼かれ骨一つ残らない。
 だがそんなことは些細なことのようにラトには思えた。自分がその代償を負うことで、この魔虎城の国の魔物たちを救えるかもしれない、その考えがラトにトラゴラムの呪文を唱えさせた。
 全身が焼けるように痛み、破裂するのではと思えるほど身体は大きく、そして固くなっていく。
 あらかじめスケルトンに頼んでおいたので、城にはこの国の魔物全員が集まっていた。
「我は魔虎王! 我はこの瞬間、お前たちの王となった!」
 ラトは高らかに、魔物の群れへ吠えた。
 そのとき、ラトが以前抱いた疑念が綺麗に晴れた。
 どうしてあのとき魔虎王は、ああもあっさり倒されたのか。どうしてあのとき魔虎王は、自分を殺した剣の腕を誉めてくれたのか。どうしてあのとき魔虎王は、『第二第三の魔虎王が誕生する、勇者がいる限り』と言ったのか。
 玉座に座る魔虎王ラトにスケルトンが近づき、囁いた。
「先代の魔虎王、いえ父上もお喜びでしょう」
 
 ラトが魔虎王となったとき、遠く離れた人間の村で、リレンはラトの息子を生んだ。それは新しい勇者の誕生であった。