009.禁じられた遊び

 長きに渡り辛抱強く捜査を続けた甲斐あって、連続殺人犯を捕まえることができた。

 だが問題は男の殺人方法と、動機だ。
「だから、殺しの動機なんてないんですよぉ刑事さん」
 線の細い、見るからに気弱で頼りなさそうな中年の男、名前は江川井。それが殺人鬼の正体だった。
「ただ単に殺したくなったから殺した、それだけですってぇ」
「嘘をつくんじゃねえぞ! いいか、この世に無意味な殺人はねえんだ。どんなに無意味に見えようが、思えようがな、犯人のどこかに動機となりうるものが必ずあるもんなんだよ!」
 俺は少し芝居がかった口調で声を荒げ、取調室の机を拳で叩く。犯人を怯えさせるためでもあるが、言っていることは本心から出たものだ。
 殺したくなったから殺した? ふざけんじゃねえ。そんな殺人あって良いわけねえだろ。いや、殺人を認めているわけじゃねえが、この殺人だけはどんなことがあったとしても認めてはならない。荒んじゃいるが、これでも一応法と正義を守る仕事をしている。理性よりも本能のほうが先に拒絶している。
「あはは、刑事さん、怖い怖い」
 江川井は臆した様子もなく、ヘラヘラと気味の悪い薄笑いを浮かべている。
「いいですよ、捕まっちゃったんだし、話しますよ。殺人の方法を」
 いったい何がそんなに面白いのか、分かりたくもないが、江川井は未だ笑いながら言葉を続けた。
「でもねえ、殺人たって、あたしゃ人を直接手にかけたことなんて、一度もありゃしないんですよ」
「てめえ、この期に及んで、自分はやってないって言おうってのか?」
 間違いなく犯人は江川井だ。約一年間もの間、多くの人が、それも無差別に、不審な形で死んでいった。その現場に必ず居合わせていた人物であるこいつが、犯人でないはずがないのだ。
「だって本当のことなんですよ、あたしゃ一度も誰かを殺したことなんてありゃしません。ただ、人に注意しただけです」
「注意だぁ!?」
「ええ、そう、最初にあたしが死に追いやった人には、こう注意したんです。『やあそこの人。いいですか、ここに栓を開けたコーラを置いておきます。ですが、絶対に飲まないでくださいよ? 一口も、一滴たりとも、飲まないでくださいね?』ってね」
 江川井の最初の殺人、被害者の死因は毒死だった。
「そしたらね、ふふふ……その人、あたしの注意を聞いたにも関わらず、あたしが少しその場を離れた隙をついて、コーラを飲んじまったんですよぉ。中には強烈な毒が入っているっていうのに。あはは」
「そんな阿呆みたいなこと信じろっていうのか?」
「信じるも何も、事実なんですから。あたしゃ注意しただけ。でもそれを聞かずに勝手に毒を飲んで死んじまった、悪いのはあたしですかねぇ?」
 糞野郎、と俺は思わず呟いた。確かに江川井の言う通りだ。毒を飲んだのは被害者自身だ。現場に付けられていた監視カメラの映像がそれを証明している。
「そして、二番目のことですがね。それも同じようにあたしゃ注意しただけ。『ここから先は一歩も足を踏み入れてはなりませんよ』ってね。このとき注意した人も、あたしが目を離した隙に、踏み込んじまったんですよ。そこには深い深い落とし穴が掘られているっていうのに。結局その人は落っこちて、確か首の骨を折って死んじまったんですよねぇ? 可哀想に。あたしの注意を聞いてさえいれば」
 声を押し殺すようにして笑う江川井。そうだ、江川井の言う通り、どれもこれも被害者は自分から死にに行っている。ある人は江川井から『スイッチを押してはならない』と言われたのにも押し、流れる電流によって死んだ。ある人は『閉めてはならない』と言われたドアを閉め、部屋が完全に密室状態となり窒息して死んだ。ある人は『触ってはいけない』と言われた蛇を触り、噛まれて毒が回り死んだ。
 不可解、と言うしかなかった。なぜ誰もが江川井の注意に反した行動を取り、死んでいったのか。
「不思議でしょ刑事さん。どうしてみんなあたしの注意を無視するのか。でもね、これって本能みたいなものなんですよ。人は禁じられると破りたくなる、ほら、おとぎ話の鶴の恩返し、知ってるでしょ? あれと一緒ですよ。『覗いてはいけない』って言われると、人はどうしても覗きたくなる。あたしゃそれを利用したんですよ」
 そんなもんが、そんな簡単なことが、殺人方法だと言うのか。頭が痛くなるような話だった。あり得ない、だが実際に起こっている以上、認めなくてはならないのかもしれない。
「だが、それを知っていてやったのなら、お前には殺人の罪が課せられるだろうな」
「知っていてやったから、どうだって言うんです? 真意はどうあれ、あたしゃ注意をしたんですからねぇ、むしろ自殺を止めようとしたと褒めてもらいたいくらいですよぉ」
 ほとんど脊髄反射のようなものだった。瞬きを一回、し終わったと思ったら俺の拳が江川井の顔に突っ込まれていた。じんわりと生暖かい感触が、江川井を殴っているという事実を理解させてくれた。
「ふざけるんじゃねえぞ! お前は被害者全員の死の原因を用意していたんだ! そしてそこへ巧妙に誘導して、死に追いやった! それは立派な殺人なんだ!」
「ええ、そうですそうです、あたしゃ殺人をしたかったんですからねぇ、へへへ……」
 またも薄気味悪い笑いを浮かべながら、江川井は殴られた頬を撫でた。
「あたしゃ殺人をしたかった。人を殺したかった。そうだ……人を殺したかったんだ……誰でもいい、とにかく人があたしの手で苦しんで死んでいくのが……間抜けにも死んでいくのが見たかった……」
 ぶつぶつと、今度は独り言のように呟き始めた。何か様子がおかしい。
「どうして! どうしてあたしゃ人を殺したかったんだ! どうしてどうしてどうして! 分からない分からない分からない!」
 今までの蚊が鳴くような小さく震えるような声から一変、取調室全体を揺らすような大声で江川井は怒鳴り始めた。
「そうだ! これだ! こいつのせいだ! こいつがあたしを殺人に駆り立てたんだ! こいつが全ての犯人、真犯人なんですよぉ刑事さん! ほら早く捕まえて! 逃げちまう!」
 江川井は怯えているのか、それとも笑っているのか、口を歪ませ目を見開きながら、ガクガクと震える手で、取調室に貼ってあるポスターを指差した。
『泥棒、放火、殺人、ダメ絶対!』
 ポスターにはそう書かれていた。