003.つぶやきメトリー

 難事件を不思議な力で解決する捜査官とか、悪霊を退治する霊媒師とか、未来を見通す予言者とか、一般的に言われている超能力者のイメージってこんなものだと思う。

 だけどもっと身近で日常的な超能力者の在り方っていうのも、ありだと思うんだよね。
 そう、たとえばあたしとか。
 お腹が空いて何か食べたいけど、不味いお店になんか入りたくないから、あたしは飲食店が立ち並ぶ街の雑踏の中で意識を少しだけ集中させる。心を落ち着かせる。目を細める。
 すると視界に、じんわりと、ぼんやりと、滲むように、浮かび上がるように、マンガの吹き出しみたいな丸くてふわふわしたのがたくさん現れて、そこには文字が書かれてある。
 行列ができている、有名中華料理屋の前に浮かんでいる吹き出しにはこんなことが書いてある。『思っていたよりうまくなかったなぁ』『期待外れ……』『値段高くない?』ふむふむ、ここはダメなんだな。
 全国チェーンのファーストフード店にはこんなことが。『最近、フライドポテトの量が減っている気がする』『ハンバーガーの肉、小さくなってない?』それはあたしも思ってたんだよね。
 こじんまりした佇まいのイタリヤ料理店。たぶん個人経営のお店なのかな。そこには『良い店見つけた』『パスタの種類多いな、全部食べてみたい』『宅配ピザより安くてうまかったなぁ』なんて書いてある。よしよし、それじゃあ今日はこのお店に入ってみようかな。
 って、これがあたしの超能力。色々インターネットとか本屋で立ち読みとかで調べてみたけれど、どうやらこれは、残留思念? とかいうものを読み取る、サイコメトリー? っていう能力らしい。難しいことはよく分からない。
 とにかく、あたしは人が場所とか物とかに残した思いを、ツイッターのつぶやきみたいにして、見ることができるのだ。
 これが結構便利。今みたいにお昼を食べるお店をつぶやきで評判を見て決めたり、レンタルショップでCDを借りるときとかも同じように評判をつぶやきで見ることができるし。ただ映画館とかだとちょっと不便。観ようと思っていた映画の結末や、犯人の名前とかがつぶやきに残ってたりするから。でもあたしはこの超能力をオフにすることもできるから、気にしていない。
 問題はどうしてあたしにこんな超能力があるのかってことなんだけど、それがさっぱり分からない。身に付いたのはつい最近のこと。目がなんだかショボショボするなぁって、目を細めたらこのつぶやきたちが見えたのだ。最初はびっくりしたけどもう慣れた。
 そんな気楽なあたしだけど、悩みがないわけでもない。それは将来のこと。今は大学に入ったばっかりで毎日が新鮮で楽しいけど、将来働くことになるだろうし、そうなってくるとあたしにしかできないこととかあたしに向いていることをしたいなって考えちゃって、そして最近身に付いたこの超能力を仕事に役立てないかなぁなんて方向に考えがいっちゃって、でもでも、こんなつぶやきを見る超能力なんて何の役に立つんだろう、って悩んでいる。使い道が思いつかない。
 浮気調査とかになら役立つかな、調査相手が使っている物に残ったつぶやきを読んだり。うーん、でもあたしのつぶやきが証拠になんかならないだろうし、そもそも浮気とかそういう生々しいつぶやきを毎日読みたくなんかないな。やっぱりこれもダメかぁ。
 みたいに今日も悩みながら、入ったイタリヤ料理店でピザを食べている。
 でもまあまだあたし大学一年生だし、将来のことはまだ考えなくてもいいかな。今を一生懸命生きればいいんだし、いざとなったら就職先もつぶやきで評判を見て決めるのも良いかも。
 お昼ご飯を食べ終わり、会計を済ませて外に出る。色んな人が行き交う街中にはたくさんのつぶやきが溢れていて、歩くときには邪魔になる。なので超能力をオフにするため、あたしはまた意識を集中させる。心を落ち着かせる。そして目を細めさせようとしたとき、一つのつぶやきが目に飛び込んでくる。それは小さくて掠れた文字のつぶやき。だけどもあたしの集中を乱し、心をざわつかせる。ぞぞぞ、と足元から頭に向かって毛が逆立つような感覚に襲われる。
『昨日は首を切って殺した。今日はどうやって殺そうか』
 そのつぶやきは道の真ん中に落ちていた。殺人、その二文字があたしの頭にゆっくりとのしかかる。うそ、まじで? 冗談でしょ? って視線をそのつぶやきの奥に向けると、『やはりガソリンをかけて火を点けるか』と、同じように小さくて掠れた文字のつぶやきが落ちてある。
 やばいやばい、これ絶対殺人だって。しかも連続殺人現在進行形。警察に言う? 無理無理絶対無理、信じてもらえないって。超能力で見ました、なんて言ったら笑われて帰されるか、病院勧められるがオチ。
 じゃあどうする? このまま見なかったことにして帰る? 人が殺されるかもしれないのに? もう人が殺されているのに? 殺人鬼をこの街に野放しにしていていいの? ってあたしの中で良い人っぽいあたしが問い詰めてくる。
 でもあたしに何ができるっていうのよ。こちとら花の女子大生、か弱い乙女、力もないのよどうしようもないのよ帰らせてよ。道の真ん中で頭を抱えて蹲ってしまう。
 でも、止められるのは、あたししかいない。そう、あたししかいないんだ今のところ。ならいけるところまでいってみてもいいじゃん。危なくなりそうだったら逃げればいいんだし。それがあたしにしかできないことなんだ。
 あたしにしかできない、その言葉を心の中で何度も繰り返して、立ち上がる。そしてつぶやきを見る。同じようなつぶやきはずっと続いている。
 
 つぶやきを追いかけて辿り着いたのは、シックで落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。喫茶店に付いているつぶやきの評判も悪くない。こんな状況じゃなかったら喜んで入っていたところだ。今は、入り口手前辺りに落ちてある『首絞めも悪くないぞ、ふふふ』というつぶやきのせいであんまり入りたくない。
 あたしは一回深く溜息を吐いて、自分に気合を入れて、喫茶店の扉を開ける。からんからん、と軽く心地良いドアチャイムの音が鳴る。
「いらっしゃいませ、おひとりですか?」
 お店の雰囲気とこれまたぴったり合っている、口元の髭がダンディなマスターがやってきて微笑んでくれる。
「いえ、待ち合わせです。もう先に待っている人がいて」
 そうですか、とマスターは奥のほうへと下がっていった。もちろん、待ち合わせなんかしていない。嘘だ。
 あたしは店内を見回して、一つのテーブルに目を留める。二人席のテーブルに一人の若い男が座っていて、何やらノートパソコンで作業をしている。殺人の計画をしてるんだろうか。あたしはそのテーブルに近づく。
 あたしのほうにも計画があった。もし殺人鬼がこの喫茶店のように人がいるところに留まっていたら、殺人鬼本人にぶつかってみようと。それで殺人鬼が取り乱したらあたしの勝ち、きっとボロを出すから、そうなったらすぐに警察に電話して来てもらう。色々と危ない気がするけれど、これがあたしにしかできないことだと思うと、勇気が湧いてくる。
 あたしは男の向かいの椅子に座る。男がびっくりした様子でノートパソコンから顔をあげて、こちらを見る。なんだか弱気そうな青年だ。本当にこの人が殺人鬼? って思っちゃいたくなるけれど、ノートパソコンにびっしりくっ付いた、殺人についてのつぶやきがあたしには動かぬ証拠だ。
「な、何かご用ですか?」
「あなた、殺人鬼ですよね」
 あたしは間髪入れずに切り込む。取り乱せ、殺人鬼。そしてボロを出せ。
「はあ、殺人鬼……ええ!? 何言ってるんですかあなたは!」
「こっちは全部分かってるんですよ。昨日は首を切って殺したんですよね。今日は首絞めで殺す予定なんですか?」
 あたしの言葉を聞いた途端、驚いて赤くなっていた青年の顔が、一気に青くなっていくのが分かった。
「ちょ、あなたどうしてそれを……」
「ボロを出したわね殺人鬼! 警察に突き出してやるわ! すみません! 誰か警察に電話を!」
 こちらの尋常でない様子を伺っていたマスターのほうに、あたしは叫ぶようにして言った。だけどマスターはなぜだかにっこりと穏やかに笑ってこちらにやってくる。
「お嬢さん、この江戸くんが殺人鬼だとは、私には到底思えないんだがねぇ」
「マスター……助けてくださいよぉ……」
 と、江戸と呼ばれた青年は縋るようにマスターのほうを見上げる。
「でもほら、さっきあなた、『どうしてそれを』って取り乱したじゃないのよ!」
「そ、それはですね……ええっと……」
 と江戸はもじもじと俯いてはハッキリしない。
「どうなのよ! 殺人鬼なの!? 殺人鬼なんでしょう!?」
 とテーブルに身を乗り出し気味になりながら詰め寄るあたしに、江戸はノートパソコンの画面を見せる。
 そこに表示されていた文字を読んで、あたしは顔が燃え上がるように熱くなるのを感じた。
 昨日の日付が先頭に書かれた文章、題名は『パンクロック探偵シリーズ:首切りきりきり舞い殺人事件』。そして今日の日付が先頭に書かれた、まだ書きかけの文章、題名は『パンクロック探偵シリーズ:首絞めしめしめ笑う殺人事件』。
 
「あの時は本当にびっくりしたよ」
 江戸くんはクスクスと笑いながら、コーヒーカップを傾けている。
「殺人鬼、なんて突然言われるんだからさ」
「だから、あの時も謝ったじゃない! 今も謝ってほしいの!? はいはいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
 初めて江戸くんと出会った時のことを思い出して、顔が熱くなる。本当に意地が悪いんだ、こいつは。
「いやいや、感謝してるんだよ僕は。あの時がなければ金田さんと出会ってなかったんだ」
 せっかく忘れかけていたのに、もう。
「で、もうその、つぶやきってのは見えなくなったの?」
「うん、それが全くね」
 あの事件以来、あたしはつぶやきを見ることができなくなった。いや、正確には見なくなった、なのかもしれない。
 だって、あたしは痛感したのだ。たとえ超能力で見ることができたのだとしても、残留思念だったとしても、断片を集めてそれを元に勝手に真実と判断しちゃいけないって。人の思いは断片なんかじゃない。全部が繋がっていて、それが他人にも繋がっている。真実は簡単に分かりはしないし、それがまた良いことで面白いことなんだ。
「でも、もしかしたら、江戸くんが浮気なんかしちゃったら、また見えちゃうかもね」
 なんてあたしはちょっと怖い顔しながら言う。もちろん冗談。
「う、浮気なんかしないよ絶対!」
 あはは、真面目な顔して答えちゃって。面白い。
「それより、新しく書いたっていう小説、早く読ませてよ」
「うん、はいこれ。結構自信作でさぁ、今までで一番良く書けたんじゃないかな。今度新人賞に送ってみようと思うんだ」
 どれどれ、と江戸くんに手渡された、小説がプリントアウトされた紙の束を受け取って、あたしはまた顔が熱くなる。
 題名、『つぶやきメトリー』。