005.ガールズショック

 私の一番美味しい部位は足。太ももは脂も乗っていて、肉も柔らかい。ふくらはぎはさっぱりしていてヘルシー。足首からくるぶしそして甲から指先のところは、肉は固いけれど、じっくり煮込めば独特の出汁が出るから冬場の鍋にぴったり。らしい。らしいというのは私は私の肉を食べたことがなくて、何故なら自分の肉を自分は食べてはいけないという決まりがあるからだ。
 私の肉を食べることができるのは、私を買ったご主人だけ。
「やあアルーファ、そろそろ食べ頃かな?」
「ええ、ご主人、私の右腕はもう生えて、肉付きも良くございます」
 私、アルーファは遺伝子操作よって作り出された食用人間。頭と心臓だけ残しておけば、どれだけ身体を切り刻まれようとも、一か月もすれば再生する。
「それじゃあその右腕を頂こうか」
 ご主人はそう言うと、私の右腕を掴み、指先で二の腕をつつつと撫で、うっとりとした表情を浮かべる。
 空いた方の手には肉切り包丁、痛みも感じさせないほどの切れ味。もっとも私のような食用人間は痛みを感じることなどできないように作られているんだけど。
 ご主人は包丁を、撫でていた私の二の腕の肉にそっと、すぅっと押し当てる。音もなく私の腕に侵入する包丁。むず痒いような、まさぐられているような、不思議な感覚。それが腕を切り落とされる感覚。そり、そり、と包丁が骨に触れ、擦れて微かに振動する。
 さく、とチョコレート菓子を歯ですり潰したときのような軽い音がして、私の腕は血も流れることなく私から離れる。
「いつもありがとう、アルーファ、ありがとう」
 私から肉を切り落としたとき、ご主人はいつもそうやって感謝の言葉を言ってくれる。
「とんでもございません、ご主人、食用人間にとって、当然のことをされたまでですわ」
 だから私もいつも、そう言い返すのだ。すると決まってご主人は、なぜか悲しそうな顔をする。裏切られたような、期待外れだとでも言いたそうな。
「それでも言わせてくれアルーファ、きみのお肉をくれて、ありがとう」
 ご主人の感謝の言葉は、いつも謝罪の言葉のように聞こえる。

 そんなご主人のことは、私は嫌いじゃない。好き、という感情は知ってはいるが今まで抱いたことがないのでよく分からないのだけれども、きっとご主人のことは好きなんだと思う。
 私の肉がご主人の血と肉となって、最後には、うんちになって排泄されるのも、なんだか嬉しい。ご主人と共に生きているような、そう、私のような食用人間の人生がとても華やかになった気がするのだ。
 でも、どうしてご主人は私の足を食べてくれないのだろう。どうして私の肉を私に調理させてくれないのだろう。
 食用人間から解体された肉の調理は食用人間が行うのが一般的だ。だから私も含めて食用人間は牧場で一通りの料理の知識と調理の技術は学んでいる。
 だけども私のご主人は、私の肉をご主人自身が調理してしまう。それが嫌というわけではないけれど、まだ私がご主人から認められていない気がして、それを思うといつもそわそわしてしまう。
 食用人間の一番美味しい部位の足をご主人が食べてくれないのも、まだ私を一人前の専属食用人間として認めていないから?
 ああ、もう、またそう考えるとそわそわ、むずむず。解体されたばかりの右腕の付け根が疼く。断裂した細胞が急速な再生と結合しているのだ。感情の昂りにより解体箇所の再生速度は変化する、そのメカニズムは解明されていない。だけど私は思うのだ、きっと、誰かを想うことが再生を速くさせる。

「ご主人、そろそろ私の足も食べてくださいませ」
 ある日私はキッチンから包丁をこっそり持ち出して、ご主人の前で私の足を解体しようとした。こんなこと、やっちゃいけないことなのに、だけども私にはそんなことどうでも良かった。私の頭の中にあるのは、ご主人、どうか私の一番美味しいところを食べて、私を認めて。だから、私を他の人に売ったりなんかしないで。そのことだけ。
「やめてくれアルーファ!きみの、きみの美しい足を傷つけるのだけはやめてくれ!」
「大丈夫ですわ、ご主人。傷なんてすぐに治ります、何もなかったかのように、痕も残らずに」
 するとご主人は、いつもの悲しそうな表情でこう言った。
「身体の傷はすぐに治るだろう。だけども、アルーファの足が傷つくことで、私の心も傷つけられるんだ。その傷は中々治らないんだよ」
「だけども、私の足を食べてもらわないからには、私は専属の食用人間として、ご主人に認められないのです。どうか食べてくださいませ」
 足だけは、足だけは食べたくない、食べられないんだ、ご主人は呟くようにそう言って、私のほうへやってきて、ぎゅぅ、と抱きしめた。
 生まれて初めて、抱きしめられた。普通、食用人間にはあり得ないこと。だけどもどこか懐かしいような感覚。
「ごめんよ、アルーファ、そんなにも追いつめていたとは、ごめんよ」
 結局、私の足は食べてもらえなかった。

 遺伝子操作により作られた食用人間。その元となる遺伝子がどこから採取されたのかは定かではない。だが、もし亡くした恋人や家族の遺伝子が食用人間に使われていたのなら、それを知った残された人々は、その食用人間を前にして何を思うのか。
 現在、食用人間と人間の結婚、養子縁組は認められていない。唯一特別な関係として認められているのは、専属食用人間契約のみである。
 専属食用人間は契約主に対し、一定期間に一定量の肉を提供することが義務付けられ、また契約主はそれを食する義務がある。
 その義務が果たされないことが発覚した場合、食用人間は牧場に戻され、別の契約が結ばれるのを待つこととなる。これは貴重な食料の有効かつ効率的な活用のために定められた決まりである。